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飽きさせないこと
陸上競技は単調な練習の繰り返しで、例えているなら、100mを毎日20本、それを十数年繰り返す、ということに耐えられないとトップ選手になれない。他のスポーツからすれば罰ゲームにも見えるひたすらに走ったり跳んだり投げたりを繰り返す競技で、飽きる人は当然飽きる。
走っていて何が楽しいのと言われることは多い。ところが当の本人は一回も飽きたことがなかった。大げさに言えば25年の競技人生で一度も同じ一歩はなかった。次の一歩は一体どんな一歩にできるのかという面白さが終わることはなかった。外から見てどれも同じ一歩に見えていても、本人はそう感じていなかった。
例えば目の前に大量の石があって、それをひたすらに置く作業をする。数百回もやれば人は飽きる。顔をあげればまだ山ほど残っている石。いずれ人はその単調さに飽き、途方にくれる。ところが、見方を変えてみると捉え方が変わる。石をきれいにならべてみようか、しっかりはまるようにはめてみようか。数を数えてみようか。運ぶ時の姿勢を変えてみようか。より良い方法はないだろうか。単調な繰り返しを行う人もいれば、何かを探す作業に変えてしまう人もいる。
最初に飽きはじめるのは自分だ。飽きる人は人生にすら飽きる。単調な毎日、繰り返される日常、もう飽きたなんの変哲も無い、つまらない。外から楽しみがやってくるものだと思って待っている人は飽きやすい。
働きかけ、反応を生み出し、工夫する。楽しめる力とは、自ら変化を生み出すことができる力のことだ。こんな風にしたいというイメージがある人、こうなったらどうなんだろうという好奇心のある人、思いついたらやってみようという行動力のある人が、飽きない人だ。飽きない人は自分を観察していて、自分を知ろうとしている。つまりは人間を知ろうとしている。楽しむ人は、楽しいことをやるのではなく、やっていることを楽しむのだ。
これを知るものはこれを好むものに如かず。これを好むものはこれを楽しむものに如かず。
孔子
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