早熟型の世界
早熟型(若い時に成績を出し、その後伸び悩んだ選手)の世界はあまり語られません。体験した人が少なく、体験していない人は実感を持って想像するのが難しいからかもしれません。
私は早熟型でした。15歳の時の身長体重が、ほぼ今と変わりません。中学生の時、100mと200mで中学日本一になり、200mと三種競技Bでは中学新記録(昔はこんな種目があったんです!)、あと400m、走り幅跳び、三種競技Aで当時の中学ランキングで日本一でした。
当時は自分が天才だからと思っていましたが、その後伸びなくなります。典型的な早熟型だったのだろうと思います。
早熟型の世界は理解されにくいです。何しろ体験した人が少ない。悩みの最中に相談しても、天狗になった、努力不足だったで片付けられることも少なくありません。指導者ですら、その人の成長時期の問題か、本人の努力不足かは見極められません。
自分でもどちらかわかりません。成長が止まり、かつ周囲には理解されなくなるので、自己を否定しやすくなります。
また、「あいつは終わった」という声も聞こえてきます。周囲なんて気にしなければいいとアドバイスする人もいます。しかし、それは失恋もただの幻だから気にしなければいいというアドバイスと同じでほとんど意味がありません。
あんなに周りにいたはずの大人たちが去っていきます。早熟型の不幸の一つは、周囲の大人が興奮して我を忘れてしまうことです。私は幸いにして、良い指導者と、あたたかい環境に恵まれ、競技者としてより、一人の子供として青春をきちんと体験できました。
私はその後、ハードルに転向しメダルを二度とりました。うまく自分に合う場所を見つけられたのだと思います。ですが、あの時に形成された価値観は今も大きく影響しています。
世の中の注目や賞賛がいかに脆く儚いものかということ。世間の評価に自分の居場所を見出した時、人は空気に迎合し崩れていくということ。いい時は冷めること。悪い時は楽観すること。全ての絶望は期待するから存在するということ。
いつピークが来るのが幸せなのかは、多分人生の終わりまでわからないのだと思います。前に来ても後ろに来ても、どちらも違った荷物を背負います。
早熟型は頭を使うしかありません。不思議と身体が成長している時、人は本当の意味で頭を使いません。拡大しつつある人の発想は大雑把です。自分を観察し、効率化し、自分なりの戦い方を考える。拡大だけではなく、無駄を省いて洗練させることによっても成長はできます。早熟型の成長とは戦略と洗練、そして心の成熟によって支えられます。
2015年05月28日 blogより