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五輪は誰のものなのか

長文ファンの皆様おはようございます。

パリ五輪の開会式がさまざまな意見を引き起こしています。ここ数日考えてましたが、ふと「五輪は一体誰のものなのか」という問いが浮かびました。

マルセルモースは贈与論の中で、北アメリカの先住民が繰り広げる激しい贈与合戦であるポトラッチを解説しています。宴の絶好調の際には最も重要であるとされるものを叩き割る事すら行われます。

モースは贈与の中でその宴をとらえましたが、別の視点では所有物を破壊することで、他者に所有する力を示しているともいえます。

現代でも続く所有の概念の背景にはローマ法があり、以下の三点が特徴とされているそうです。

1、使用する権利

2、産物を享受する権利

3、損害を与えたり破壊する権利

1と2は共有物でも可能です。しかし、3は所有者しか行えない。壊すというと過激ですが、好きにする行為は所有者をはっきりさせます。言い換えれば私的所有とはそれを好きなようにする権利だとも言えます。

私は3度五輪に出場してきました。五輪の公用語は「英語」と「フランス語」です。我々の頃は、最初に読み上げられるのはフランス語でした。そして英語、最後に現地語です。

五輪は誰のものか。もちろん公式見解は全ての人類のためです。

しかし、一アスリートとしては、やはり欧州の色は濃く、その中でもフランスの色は特別濃いと、感じていました。オリンピックを古代ギリシャから蘇らせ、近代に組み込んだのは、フランス人であったクーベルタン伯爵でした。

考え難いことですが、もし五輪を好きなようにできる国を無理矢理にでも一つだけ選ぶとしたら、私はフランスか、もしくは古代ギリシャではないかと考えるでしょう。井戸を掘った人は誰なのか、という観点です。

ここから先はただの妄想です。五輪を一度破壊し、蘇らせることができるのは私たちであると暗に示していたとは考えられないでしょうか。

パンクバンドといい、アントワネットといい、何かしら五輪の破壊を意図していたような気がしてしまうのは、私がアートに疎いからでしょうか。

そう言えばマルセルモースもフランス人でした。


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