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正義と幸せは両方手に入るのか

長文ファンの皆様おはようございます。

正義と幸福は相性が良くありません。これはどちらが大事というわけではなく、どちらも成立している状態を作るのが難しいのだと思います。
例えば社会で許せないことがある。格差であったり、差別であったり、紛争であったりするわけです。これをなんとかしたい。これは素晴らしいことで、憤る人がいるから社会が変わるわけでもあります。

一方で憤っているより、平穏な心で日々を過ごした方が幸福度は高い。毎日平穏な心で、友人たちと時間を過ごし、好きなことをやっていくことは幸福を生みます。

社会の問題に触らず、幸せに生きている人を見て正義の人は不誠実だ、責任を果たしていないと憤ります。一方で、幸福の人はそんなに憤ってばかりで自分はいつ幸せになるんだ、幸せより憤りを優先するのはまっぴらごめんだ、と言います。

難易度は高いですがこのふたつの道を融合させる方法があると思っています。それは自分が「やりたいことをやっている」に立脚することです。犠牲心を小さくする方法です。

「私は正義を成したくてやっている。そんな自分が好きだし充実している。他の人が同じように考えるかわからないが、そんなことは構わない。」という心境です。正義には不満の投影が含まれることが多いです。

また、幸せ追求も自分の幸せは一定の社会正義の上に成り立っていることに気が付くことでより社会に立ち位置が生まれます。個人の幸福追求は若い間はいいですが、ある年齢からはあまり幸福になれないように思います。いい年して自分の幸せが一番だと人はあまり尊敬もされないし、感謝もされません。

誰もが皆、幸福でありながら、正義を行うバランスを探しているように思います。

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