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全てに寿命があり、終わりがある中で、どう適応し続ければいいのか

長文ファンの皆様おはようございます。

全てには寿命があります。人間はいつか人生を終えますし、企業の寿命は平均23年と言われています。国家も永遠ではなく、帝国の繁栄も100-300年と言われています。

大きな視点では地球にも寿命があります。地球は寒冷期と温暖期を繰り返していて、今の温暖期にもいずれ終わりが来ると言われています。

そこまで大きな話でなくても、社会という環境は変わり続けています。30年前インターネットは一般的ではありませんでした。AIが一般的に使われ始めたのもここ数年です。

この環境は続くのか、続かないのか。これによって生存戦略が違ってきます。続くなら今の環境に適応して優位性を確保するのがよい、続かないなら、今の環境に適応しすぎることは危険です。もっと余白を残し、変化に対応できるようにしていなければなりません。

これは言い換えると一つの環境に適応しすぎた人は、変化した環境には弱くなるということです。

雇用の流動化の議論が出てきています。これは短期的に見ると、辛い思いをする人が増える話ですが、長期で見ると環境変化に強くなる人を増やす話でもあります。

30年前のテクノロジーに適応した人、30年前の産業構造に適応した人が、新しい環境に適応し直すには、結局本当に環境自体が変わってしまう他ないと私は思います。

60歳であれば今更と考える人が多いかもしれません。20代であれば人生のほとんどは次の環境で生きるわけですからすぐ適応するでしょう。40代あたりが一番辛くて悩ましいです。変わるには適応しすぎている。でも変わらなければ残りの人生が長すぎる。ああしんどい。家族もいて責任もあるのに。

環境が悪いと考えることもできますが、常にミクロはマクロに勝てないのだと思います。国家もまた国際環境に適応を迫られる一つのか弱い存在に過ぎず、環境の変化を止めることはできません。

もちろん個別ではできることがいろいろあります。ある産業の雇用を守ったり、などです。でもラッダイト運動が本質的に成功した例はありません。長期で見ればより便利なテクノロジーに置き換わっていきます。いくら頑張って雇用を守っても、ニーズがない産業はいずれなくなります。

難しい年齢です。残りの人生を環境を変えない前提で粘るのか。変わる前提で変化しにいくのか。誰もが悩みながら選択しなければいけないのだろうと思っています。

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