自らを笑い飛ばすという事 2014年11月16日

自虐的に自らを笑うように語ればダメージは和らぐ。自らを笑い者にするという事は、ある意味で最も余裕を見せることなのだけれど、それがゆえに本当の意味で自らを笑い飛ばすことは想像以上に難しい。

劣等感自体が消化しきれてないと自らを笑い飛ばすことも中途半端になってしまう。自らで自らを笑い飛ばしておきながら、人に笑われると傷ついたり、腹がたつ。笑わせることには慣れていても、笑われることには慣れていない。皆と一緒に自らを笑うことができるには、本当に消化しないと難しい。

ある大学のチームスポーツの出身者が社会でたくさん活躍していて、その理由を聞いたことがある。どうも文化的に入ってきた新人をいじり倒すらしい。プライドも何もなくなるぐらい、いじられ、劣等感を感じていることも晒され、みんなに笑われきった先に、隠すことがなくなってくる。だから社会に出た後も、プライドが傷つくような局面での恐怖心がなくなりなんでもできるようになる。それが理由じゃないかと言っていた。おそらく今ではもう許されない手法だろう。

振り返ってみれば、自分の人生においては人前で負けるスポーツというジャンルを選んだことはプラスに働いたと思う。特に陸上競技は我々が負けるわけではなく、私が負ける。自滅以外に敗北の理由はない。お前負けただろと言われると、事実は事実だから受け入れるしかない。このような経験がなければ、私はもう少し社会的な自分の見え方に拘って手足が縛られていたように思う。

自らを笑い飛ばすことができれば人は自由になれる。けれども、それだけの余裕を手に入れるにはずいぶんと自分と向き合う時間が必要になる。

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