テレビの主役は塚田泰明九段という"人"

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 久しぶりに将棋のNHK杯を見ました。

 僕はテレビを持っていません。今回は用事があって実家に帰っていたのでたまたま見ることができたのです。生で藤井棋聖の将棋を見るのも初めて。本当に興奮しました。先手番の藤井棋聖が素人目から見ても不利。お相手は塚田泰明九段。棋聖がここから巻き返しするのか?

 塚田泰明九段。

 多分、塚田スペシャルのご考案者だろう、くらいしか存じ上げませんでした。テレビを持っていない自分としては、お顔もご様子も雰囲気も何も存じ上げず、おそらく初めてご本人を拝見したと思います。

 僕の記憶にあるNHK杯の映像とはまるで違います。棋士はマスク着用。将棋盤は卓上。アクリル板越しの盤上。「軽っ」と正直思いました。三密を避けるという時勢の流れ上、致し方ないこととは言え、将棋の歴史がまったく感じられない。なんたることか。

 しかし、その思いは一瞬で消えました。

 プロの将棋の迫力。塚田九段の有無を言わせぬ攻めに藤井棋聖の不利が大きくなっていくように見えます。しかし、攻めが緩んだ瞬間、藤井棋聖が大きく巻き返します。とんでもない所にいた成桂を軸に、藤井棋聖がずんずんと押しまくります。藤井棋聖の玉は遠く、塚田九段はどんどん押され……。

 ああ、これが”プロの形作り”か。

 これも初めて見た気がします。将棋の形作りは”良い勝負であったという思いを投了局面にこめる慣習”だそうですが、プロ同士の場合はアマチュアが見ても分かりやすくするため、という気遣いがあるそうです。

 「塚田が攻めれば道理が引っ込む」と評される塚田九段。将棋ファンに向けたその差し回し。負けを認めて、棋聖とは言えはるか年下の相手に頭をさげる。この姿を見て、心の中で本当におどろきました。

 さわやかな方だ。

 さわやかさに驚く、というのは何ともちぐはぐな言葉遣いですが、頭を下げられることで起きた風がこちらまですっ、と届くようでした。そしてすぐの感想戦。

 僕はファンという存在にはなりません。なぜなら、へそ曲がりだからです。それでも塚田九段のご様子、攻め将棋とさわやかさに……。いやいやファンとは言うまい。

 惚れました。将棋盤の上での攻めの棋風とさわやかさの不意の出会いのように美しい、と本気で思いました。テレビの主役は塚田泰明九段。こういうシーンが見れるのか、と少しテレビ購入に前向きになってしまう自分です。テレビはすばらしいな、と。


 将棋のお話はここまでです。ここからは自分の……思考メモ?

 テレビはこのように、臨場感溢れる風景をダイレクトに視聴者に突きつけます。例えば棋士のさわやかさ。例えば戦争の悲惨さ。例えば自然の美しさ。そしてそれを見る人間の心を大きく揺り動かします。

 人間の最も恐れること、それは心の脈を止めることです。人間という存在は、つねに心を動かしたくて芸術に触れ、人と話し、テレビを見るのです。テレビは心を動かしたい人間にとってもっとも手軽でありながら強力な装置です。

 同じ動画という性質を持ちながら、パソコンで見るYoutubeやニコニコ動画とは何か違うんですよね。この違いは僕自身、まだ明確には分かりません。(誰でも参加できる、という参入障壁の低さが前提として理解しているから?)

 Mother3というゲームではテレビを「シアワセのハコ」として素朴な人々の生活の中へ不気味に浸透する様子を表現していました。それだけ、テレビは人の心に訴える何かを強く持っているのでしょう。メディアとしてのテレビ、なんてもうどこにでもある話なのは明白なので、あくまで自分のこととして記述します。

 同じ動画だからって、テレビを甘くみるな。テレビは怖い。

ダイレクトに伝わるからこそ、それに踊らされてしまうのはよくあること。心動かされるのはいいとして、それに染まってしまうのはよくないこと。

 テレビを見なくなって久しい僕は、父母との会話でも物事の捉え方にギャップを感じることがよくあります。母は度々「食べ物の味が分からない」とこぼしていました。しかし、話を聞いているうちに、毎日朝晩、舌を磨いていることを聞いたのです。味覚障害の原因になるからやめるように言ったのですが、そのときの母の一言。

 テレビで言ってたよ。

 ネットでよく聞くこの現象を僕もついに体験しました。テレビなんて嘘つきだ、と母を注意したのはつい最近のことです。

 そんな風に偉そうに言っていたくせに、テレビで見た方の人柄に惚れた、と言ってしまう自分がいる。このギャップは驚くべきことです。しかしこのギャップがいまだに自分では埋められていない。

 テレビには良いこともあれば悪いこともある。なんて陳腐な結論。ガマンできないし、原稿用紙5枚分にもなる文章をここまで読んでくださった方にも申し訳ない。

 でもごめんなさい。埋めようと努力しましたができませんでした。だからやっぱり陳腐だけれど、こういう結論になってしまうのです。

 テレビと踊らず。されど染まらず。

 どこかの首都の標語とか論語の一節みたいになっちゃった。まあいいか。どれも似たような意味だし。それにたまに見るテレビ。少しは塚田泰明という人に染まる自分は許そうと思います。テレビに染まったんじゃないやい。


 でもそれくらい、塚田九段、かっこ良かったです。


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