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日記:オリンピックとかいうドラッグ


2021/07/29
 今日は週3か4くらいでやってるコールセンターの派遣が無い日だったので、一日中家でゴロゴロしていました。もちろん今の時期ですので、朝から晩まで東京オリンピックを観戦していました。いつも何か目当ての競技があるわけではないので、適当にテレビをザッピングして、面白そうなのを観るというシステムです。今朝はNHKのBSでビーチバレーをやっていたのでそれを観ていました。NHKの受信料を滞納している身としては少し後ろめたさがありますが、いつか払うので許して下さい。この前NHKの人が訪問しに来ましたが、僕の家のインターホンは話す時間に制限があるため、話してる間に通話が切れてしまいました。その節は誠に申し訳ございませんでした。僕は悪くないんです、インターホンが悪いんです、後でキツく言っときます。


 ところでビーチバレーと聞くと、思わず海に遊びに来た若くてチャラい感じの、リアルもインスタのストーリーも充実してそうな男女2:2の4人組がやる、というイメージがありますよね。そいつはきっと君よりも年上で焼けた肌がよく似合う洋楽好きの人なんでしょうね。駄目だ何一つ勝てない……。

 しかし、今朝テレビで観たビーチバレーはそんなイメージとはかけ離れたものでした。まず昨今の東京の炎天下の中、地面は砂浜で非常に足場が悪く、しかもそこそこの広さ(普通のバレーボールの半分よりちょっと大きいくらい?)のコートをたった2人で守って戦わないといけないのです。観てるだけでもわかる、滅茶苦茶キツイ。一人がレシーブしたら、もう一人がそれをトスして、さっきレシーブした人がすぐに体勢を切り替えて助走してスパイクを打つ、という流れをずっと繰り返している。一人の守備範囲が広いので、ギリギリ届くくらいのボールに向かって飛び込みながらレシーブする場面が多く、観てるこっちも少し疲れたくらいです。もちろん選手たちの方が数万倍疲れていますが。

 観てた試合は惜しくも日本が負けてしまいましたが、選手の頑張りには惜しみない拍手を送りたいです。と言ったら少し偉そうですね。えっと、すごく…すごかったです。………すみません、一度松岡修造の動画を見て勉強してきます。とにかくハードでしたので、最初は遊びのようなものでも競技化するとこんなに違うのか、というのを思い知らされました。もしかすると、どんなスポーツも最初は気軽な遊びだったはずなので、それが競技化される度にビビる人、というのが今まで沢山いたのではないでしょうか。やはりオリンピック、先人達の歩みにも自然と想いを馳せさせられます。

 その後、野球とテニスがやっていたので観ていました。野球はプロ野球のオールスターが参加していますし、日本代表の監督は我らが北海道の日本ハムファイターズの元選手だった稲葉さんなので、野球に詳しくない僕でも興味深いです。また、テニスは錦織圭選手が出場していました。僕は去年、生まれてはじめてテニスをし、その面白さを体感していたので最近はテニスにも興味がありました。野球の方は前半あまり展開がなかったので、テニスの一進一退の攻防を固唾を呑んで見守っていました。結果、野球日本代表も錦織選手も勝ったので、とても嬉しい気分でした。

 お昼になったので、大学の食堂にご飯を食べに行きました。今日は土用の丑の日で、うな丼がメニューにあるとの情報をTwitterで見ていたので、わざわざ大学まで出かけていったのです。まあ大学まではチャリで5分なので、特に大変ではなかったのですが。

 その後は帰ってアイスボックスにコカ・コーラを入れて飲みながら、オリンピックを観戦していました。ニンテンドースイッチで最近配信されたポケモンユナイトというアクションゲームを時々やりながら、クーラーの効いた部屋でのんびり過ごしていました。いや〜、今日も良い一日だった。



 …なんだろうこのモヤモヤは。
 今日も何個か日本は金メダルを獲得し、野球もテニスも勝ち進んだので、オリンピックを観戦していた僕にとってはかなり良い一日のはずである。ついでにメジャーリーグでは大谷選手がまたホームランを打ったらしく、非常に誇らしい気持ちになった。それなのに、僕の心を支配していたもの、それは

俺は何をやっているんだ?

という気持ちでした。オリンピックに出ている選手たちはこれまで幼少期から何年何十年も努力し続け、競争を勝ち抜き結果を残し続け、心無い言葉やプレッシャーに耐え、コロナやオリンピックの一年延期などの状況変化にも必死で対応し、やっとの思いでオリンピックのメダルを掴んだり掴めなかったりしています。一方、僕は?…観てるだけ。ちょっと観て、ちょっと感動して、ちょっとTwitterに感想を書き込むだけ。何も残しちゃいないし、何も行動してないし、それどころか、何かをしたい、という思いすら定まっていない。

 もちろんこれは僕自身の事情もあります。現在大学4年で就活も終わり、留年しているので去年のうちに卒論も終わらせることができたため、かなり暇になってしまったのです。しかしそれを差し引いても、あまりに無気力で、受動的な生活をしています。画面の向こうにいる偉大な成果を出した選手たちと、画面の前でただそれを眺めているだけの僕。そのあまりに大きな結果、行動、意味の差に、愕然としてしまったのです。

 オリンピックの力、スポーツの力は絶大です。観る人に勇気を与え、努力の素晴らしさを伝える。そして国際試合での自国の勝利は、民衆にお気軽なナショナリズムの熱狂を与え、オリンピック反対派の主張をも抑える力を持っています。簡単に手に入り、簡単に酔える。素晴らしい成績を残す自国代表の選手たちに自分を重ね、一緒に喜んでいると、さも自分たちも凄くなったような気がしてしまいます。しかし、僕は何もしていないのです。ただ画面を見て気持ちよくなっている、何も生み出していないただの一般市民です。酒やタバコ、ドラッグとさして変わらないような気もしてきます。すぐに気分は高揚するけど、自分は何も変わっちゃいない。用法·用量を守って使わなきゃいけない。

 まだ、その競技のファンであったり経験者であったりすれば、その試合を大きな歴史の中に位置づけて新たな解釈をしたり、これからの自分の価値観や話の深みを増していくこともできると思います。しかし、僕は野球もテニスもスケボーも卓球も体操もほとんどやったことがないのに、選手たちを見ながら勝手に誇らしい気持ちを抱いてしまっている。これは危険です。このままでは、僕はずっと画面を見続けたまま、何も中身の無い空っぽな人間になってしまうのではないか、という危機感を抱きました。

 今はまだ、テレビの中の選手たちのような大きいことは成せないけど、せめて一歩ずつでも努力を重ね、いつかは彼らのように、誰かに勇気を与えるような存在になりたい。そう思い立ち、僕はテレビを消しました。
 


そして、ニンテンドースイッチの電源に手を伸ばしました。

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