Twitterでこれでもかと降りかかるクソリプを徹底的に打ち返してみたら、「自由」が待っていたという話
お久しぶりのnoteです。
既存ブログとの使い分けに微妙に悩んでいたら、時間ばかりが経ってしまいました。
しかし、そんなスランプ?(というほどのものでもないけど)の突破口??(そんな大袈裟なものでもない気がするけど)になるかもしれないと思う出来事があり、それについて書こうと思います。
先月末のお話ですが、日本にはなくてマレーシアどころか世界では一般的なあるものについてTwitterでつぶいたら、思いがけずバズりました。
人生で初めてこんなにもたくさんの「いいね」をもらいましたが、同時にこれでもかとクソリプも浴びました(笑)。
面識どころかなんのご縁もなかった人に、批判されたり、非難されたり、説教されたりって、考えてみれば人生でなかなか体験できないスゴイこと!
こういうのは一部の人の専売特許みたいなもんで、自分には関係のないもの、むしろクソリプはできるだけ浴びないようにと努めてきたつもりでした。
しかし、体験したからこそ見えてきたものも多かったので、何かの参考になればうれしいです。
学校で子どもにおやつを食べさせてくれた
インター校の校長先生の言葉
マレーシアで暮らしてみたら、日本で当たり前だと思っていたことが、世界では全然違ったってことがよくあります。
「学校にスナックタイムがある/ない」も、そのひとつ。
マレーシア在住2年目の年だったと思うのですが、あるインターナショナルスクールで宿泊付きサマープログラムのお手伝いをしたことがありました。
初日の朝、校長先生が挨拶もそこそこに、学校に到着したばかりの子どもたちにしたことが「おやつを食べさせること」だったんです。
そのとき、校長先生がニコニコしながら言った言葉がずーーーっと頭に残っていて。
「子どもを空腹にしていいことなんてひとつもない。おなかが空いたら勉強に集中できないし、運動もできないからまずは食べて」
部活の時に水も飲ませてもらえなかった世代の私、「ええええ、そんな世界があったのーーーー!!」と目からウロコっていうか、「もうなんていい学校なのーーーー!! 」って、いっぺんにマレーシアの学校が好きになりました。
ずっと後になって、スナックタイム があることは、何もその学校が特別なのではなく、“世界的には標準”だってことを知ることになるのですが。
ちなみに「スナック」って、軽食、おやつのことですからね。
日本在住の方だと、「スナック=ママのいる飲み屋」だと思っている人が案外多くてちょっと新鮮でした。
なかには「スナックタイム草」みたいなリプもあって、「こっちが草だってば!」と笑ってしまいました。
日本のスナックは、「スナックバー」の略語だそうで和製英語ですからね。
スナックタイムについての日本人学校の
校長先生の回答がいかにも日本的だった件
その後、長男がクアラルンプールの日本人学校に入学しました。
で、学校が始まったら、案の定恐れていたことが……。
まず、1日のスタートが早い。
バスのお迎えが朝7:10なので、家を7:00には出ないといけない。
そして、ランチタイムが12:40だったので、5時間40分も、毎日空腹で過ごさなければならない……。
これは大人でもつらいです。
私も長男にならい、7時に送り出したあと、12:40過ぎまで何も食べないことを何度もやってみましたが、いずれの回も「慣れればOKレベル」ではなかったです。
当時、毎朝6:20には長男を起こしていましたが、朝ごはんがとにかく食べられない(´Д`)
小さいおにぎりを無理やり1個食べるので精一杯。
当然、3時間目には電池が切れはじめ、4時間目にはまったく授業が耳に入らなかったようです…。
なので、先生にお手紙を書きました。
担任の先生は、日本から3年間の駐在予定で来ているだけなので、海外の学校にはスナックタイムがあることを知りませんでした。
しかし、確かに日本人学校は、日本の一般的な学校より食事のインターバルが長いし、小学1年生には負担が大きいということで、校長先生にまで話を上げてくれたのです。
そして、最終回答がこちら。
今から5年も前の、当時の校長先生の回答ですので、今、日本人学校で同じ要望や質問をしたら、どういう回答が返ってくるかはわかりません。
現在、日本人学校など、スナックタイムのない学校にお子さんを通わせている保護者の方で、私と同じような要望・質問のある方は、ご自身でアクションを起こしてみることをオススメします。
山は動くかもしれないし、動かないかもしれない。
でも、影で文句言っていても何も変わらない。
小さくても一石を投じるって、大事なことだと思うんですよ。
「言うだけで無責任」的なクソリプもそれなりの数、ちょうだいしましたが、私も長男も今は日本の教育を離れてしまったので、当事者じゃないですからね。
そう、なんの責任もない「ただのつぶやき」がひとり歩きしただけですので、そこに行動を求めるのは違うよね? というのが、私の見解です。
個人のつぶやき(考え)と常にセットで「行動」を求めたら、言論に自由がなくなってしまう。
「正しいあなた」は、きっとそれをよしとしないでしょう?
ちなみに「日本の教育を選ばなければいい」というクソリプもたくさんいただきましたが、「非合理的な部分がある=全部ダメ」というわけではないのです。
日本の学校にも、マレーシアの学校にも、いいところもあれば悪いところもあるんですよ。
現在、長男は日本人学校を離れ、次男とともにインターナショナルスクールに通っています。
次男は日本の教育を受けたことがありません。
わが家は、子どもの個性によって教育を使い分けてます。
こんなふうに選択肢があるのは、マレーシアの教育のいいところだなって思います。
学校の先生たち、
枝葉ばっかりにこだわり過ぎ?
こちらツイートには、日本全国の先生たちが反応してきました(笑)
「朝から昼まで、食べる時間なんて一切ない」
「トイレに行く暇だってない」
という「自分はシロである」にこだわる先生が多かったです。
いやいやいや、私が意地悪な書き方をしてしまったせいもあるんですが(当時、数名の学校関係者に調査をしたところ、先生たちは「クロ」だったのですよ!)、実際はシロでもクロでもいいんです。
そこは問題じゃない。
だって、先生たちもおなかが空いて授業の質が下がるくらいなら、おやつ食べたらいいし、休憩したらいいんですよ。
そもそも、休憩もできない、水分もとれないって異常事態ですからね!
まずは先生たちが幸せになってください。
どうやっても幸せになれそうもない職場からは、逃げていいと思います。
そうでないと病んでしまいます。
先生って、つくづく子ども時代、学校生活で問題なくやれていた人たちなのだなあと思うけれど、これはまた別の話。
別の場所で話題にすることにします。
いちばん非合理なのは、
日本語という言語!?
*サラリーマン輩出に
*弊害の方が
「竹槍」とか書いたからかなあ。
フォロワーがほとんどいないのに、めちゃくちゃ絡んでくるネトウヨさんたちとも、初めて接触しました(笑)。
私は、合理的でないもののたとえとして「竹槍」と「プールのハンコ」を書いたのだけど、「日本の教育は、軍国主義か否か」というリプも多かったです。
「規則は規則、守るべき」をくり返していた人とやりとりしていたら、「命が最優先」と言い出し、こちらとしてはハンコと命がどうやったらつながるかさっぱり理解できず、困ったこともありました(苦笑)
こうなってくると、日本語がいちばん非合理的なのかもしれません(笑)
日本人の非合理的なものの考えと、非合理的な日本語、大いに相関関係があありそうだな……。
「みんな一緒」をやめると、
子育ても教育もきっともっと楽しい
あと多かったのは、「早弁すればいい」「自分は早弁してた」というリプ。
「ああ、小学1年生の話だと思ってないんだな」「小学1年生がどんなに幼いか知らないんだな」って思って、上のつぶやきを追加しました。
みんな案外、自分が子どもの頃のこと、忘れてしまっているのね。
私なんて、給食ワゴンが教室の横に置かれた音、そこから漂う匂いまでハッキリ覚えてるんですが(単なる食いしん坊です)。
そして、「朝ごはんを食べさせればいい」「朝ごはんを食べさせない親が悪い」というリプも多かった…。
でも、これ親のせいじゃないんですよ。
単なる個人差ですからね。
朝ごはん食べなくても昼までもつ子もいれば
おなかが空いて毎日苦しんでいる子もいれば
低血糖で朝礼で倒れてしまう子もいれば
経済的な問題を抱えた子もいれば
早弁OKな環境の子もいる
スナックタイム はただ存在するだけでいい。
食べたい子は食べ、食べたくない子は食べないでいい。
どうでしょ?
さしたる理由もないのに、子どもに生理的ガマンを強いるより、合理的でしょう?
選択肢があると、正解はひとつじゃないって思えると、ラクです。
そうなったら、学校生活も、子育ても、もっと楽しいだろうな。
何より私はふたりの息子の母として、単身留学生18名のガーディアンをしている現地母として、おなかを空かせる子を放っておけないのです。
人の口に戸を立てることをあきらめたら、
私の口にも戸を立てられなくなった
まあ、たったこれだけのツイートの中に、日本が息苦しい理由がわんさか詰まっているなあと驚いたり、呆れたりした数日間でした。
でも、初めてはるか遠くまでひとり歩きしたツイートだったので、ここはひとつ、返ってきたものはなるべく打ち返してやろう的な気持ちに。
(売られたケンカは買うタイプです。その結果、痛い目にも結構あいますが)
打ち返しまくってたので、以前からのフォロワーさんはさぞやうるさかっただろうなあと申し訳ない気持ちでいたのですが、マレーシア在住のTwitter民のみなさんがやさしく見守ってくださるのがうれしかったです♪
なかには、プライベートで応援メッセージをくださった方も♡
ありがとうございます♡
そして、Twitterの打ち返しをし続けた結果、私が行き着いた結論。
クソリプは全然怖くない!
たとえ、自分がまちがったことをつぶやいてしまっても謝ればいいし、最悪消してしまえばいいだけ。
スタンスとしては、「人の口に戸を立てることはあきらめる」が正解(笑)そして、その態度を決めた瞬間、「私の口にも、誰も戸を立てられなくなる」。
その先にあるのは、自由。
誰の目も気にしなくていい自由。
それはとても気持ちいい。
みんな、もっと自由に、もっと生きやすくなれるといいね。
先日、屋台で食べた「黒刺」という名のドリアン。
食わず嫌いでドリアンの悪口を言ってはいけない。
3回目から、病みつきになる人が続出するのだから!
かく言う私もドリアンラバーになって以来、年に2回のシーズンが楽しみに♪