ウエディングドレスは怖い
花嫁の白いウエディングドレスが苦手だった。
自分が着た姿を想像して、「なんかグロいな」と思った。
これは女性が着るものであって、私の着るものじゃない、と直感的に感じていたのかもしれない。
幼い頃の私は、私のことを私としか認識していなかった。
男の子、女の子、には当てはまらず、女の子+私、みたいな感覚。
私から見た女の子はかわいくて、そう映らない自分は評価を得る対象ではない、よって、自分を女の子だと思えず、自身をそのように扱うことが出来なかった。
大人になった私は、今結婚を少し羨む。大好きな相手と暮らし、その間に子供が出来たら。結婚式を挙げて、大切な人々に祝われるのも美しいこと。
でも、考えは変わらず、ふわっとした世界で生きていて、結婚式やドレスに対して、知識が上乗せされて嫌悪感すら感じるようになってしまった。
そんな折、この嫌悪の原因はなにか考えてみた。
結果としては
1、結婚=幸せの象徴、見せびらかしているみたい
2、世界中のほとんどの人が同じようにする儀式ってなんか気持ち悪い(逆張りの精神)
3、男女での結婚が前提で、隣にはタキシードの夫がいる(対比関係で女の役割を押しつけられるような感じがする)
4、ウエディングドレスが似合わない、動きが制限される、着たくない
5、慣れないことしたくない、恥をさらしたくない
以上が、ウエディングドレスを着る自分への偏見である。メタ認知の暴発とか結婚披露宴等への偏見も混じっている。細かく言えばもっとある。
私は自分だけ特別、という感覚がたまらなく好きだ。だから祝われるのは自分ひとりの時がいい。つまり、自分の功績以上に、結婚を祝われるのが怖いのだ。
よって、「人生のハイライトに「結婚」が入るのは嫌だ。」から結婚式、およびそれを人に祝福される象徴であるウエディングドレスが着たくない、という結論に至る。
けれど、こんなこと並べていても、誰かと結婚して、それを着る日が来るんだとどこかで思っている。
恋は盲目で、私は簡単だ。
モテないからこんな面倒なことを考えるのだ。
だから、私は筆を執ることにした。
人生のハイライトは自分で作りたい。そうすれば、結婚だって、ウエディングドレスだって怖くなくなるかもしれない。
似合わないウエディングドレスより、自分に一番似合う服を着て、
自分ひとりの名を呼ばれるその日まで、
それを畳んで、しまっておくことにした。