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20年間家賃払いながら考えていた

私が会社勤め、いわゆるサラリーマンになったのは遅めの28歳で、ようやく自立したひとり暮らしが始まった。仕事で忙殺される平日の癒しは、週末の自宅時間。その頃から家への愛情が深まっていった気がする。30代前半で買った吉祥寺のマンションは狭いながら、ベランダが広めで眺めがよかった。秋になるとちょうど井ノ頭通りに夕日が落ちていくのが見える。で早速、七輪を買ってベランダで魚を焼いた。50歳になった今ではひとりで運べなくなってしまっためちゃくちゃ重い切株型のテーブルもその頃買った。部屋のサイズに合わせて背丈ほどある本棚を自分で作ったり、快適なおうち作りに余念はなく、徐々に家に費やす時間とお金が増していく。大きいものと重いものが自宅に増えると、住む場所も大きくしたい気持ちが膨らんだ。

住人になってみると吉祥寺はやはり人気の街だけあって、特に土日は人が多い。近所にある有名な焼き鳥屋は昼間から宴会モードだし、初々しいファミリー層がせっせと買い物に勤しみ、散歩の犬より歩きの遅いカップルが道をふさぐ…。平日都心で遅くまで働く30代の独身女子が望むような静かな週末を過ごせる環境には当時は思えなかった。そのうちだんだんと都心に向かう中央線通勤にも負担を感じ、(まさか15年後、東海道線片道2時間かける人生になるとはね。)6年弱の吉祥寺ライフに別れを告げ、お家賃を覚悟し、広いけど古い目黒の賃貸物件に引越した。

新たな”相手”と出会い、私の中の‘家愛’が再熱し、目黒は賃貸生活の中でも一番広い物件だったので、その時はベット代わりにもなるソファを買った。快適なひきこもり週末を過ごすために再びお金と時間をかけた。ところが、目黒は人通りより、車通りが激しくて一日中車の騒音がする。夏が近づき窓を開けているとTVの音もかき消されるほどで、東南アジアの異国にいるみたいだと、笑っていられるのも最初だけ。結局1年半で引越す事にした。後にも先にも賃貸更新料を払う事なく引越しだのはここだけ。何で目黒のあの物件を決めたんだろう…。計画もなく、勢いだけで行動してしまう私らしいと言えば、らしいのだけれど、思えば週末に人が多い吉祥寺の方がまだ静かで、あの半アウトドア・ライフが楽しめたベランダを手放した事に悔いが残った。

その反省もあり、三茶の物件は家賃が上がっても静かな部屋を選んだ。R246から奥に入ったその低層分譲マンションの賃貸物件は、車の往来が激しい大通りの騒音も届かず、建物内の防音もしっかりしてるので、近隣の物音も聞こえない。三茶という場所は何時に帰ろうとも食べ物屋は開いてるし、土日に人が増える事もない。借りてるマンションは立派だし、環境にも恵まれてる。一度、自宅前の道端に酔っ払った女子が寝ていた事があったけど、彼女もきっとこの地域の安全さを肌で感じていたんだろうな、素直に思った。(とはいえ、放っておけず、酔っ払い女子を起こし、自宅場所を聞いて引っ張って連れて行き、彼女の鞄から鍵を取り出して玄関を開け、中に入れてあげる…ところまでしてあげた。)

ある日、結婚したばかりの同世代の友人と家の話になった。彼女は30代の独身時代すでに都内で一軒家に住み、かつ栃木に別荘まで持っていた不動産マニアで、私と階級は違ったがやはり‘家愛’が深く、俄然購入派だった。彼女が私の三茶の家賃を聞いて言った。「あなた、何階に住んでるの?」「5階だよ」「そう、あなたは毎日その5階の窓から5000円札を撒いているんだわ。」と。一度、会社の同僚(年下男子)が近所に住んでいる事を知り、家賃を聞いたら同じ様なものだったけど、…待てよ、こいつは妻子がいる、共に暮らす家族がいるじゃん。私はひとりでこの家賃払ってる場合なのか、と考え始めた頃はすでに2回更新料を払った後の5年目だった。家賃の日割り計算は意外と人生を考えさせるかもしれない。

それから祐天寺、五反田…と私はまだ懲りずに東京賃貸物件を彷徨うのだが、今言えるのは、年々大きいものと重いものが自宅に増える、払っている家賃に疑問を感じ始める、のなら早く家を買う事を考えた方がいい。そういう人はきっと’家愛’が深いので、中古マンションでも、一軒家でもたぶんリノベーションしたくなるし、そうなると体力いるから、お産程の話じゃないけど、若いうちから考えた方がいい。ようやく、私はお産適齢期に暮らしてた吉祥寺ライフから15年かかって、温泉のおまけ付き一軒家は手に入れられたか。これからの選択は少しは計画的で悔いのない方を…。(写真:京都 源光庵 悟りの窓・迷いの窓

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