夏の名残
あの子はどうしているのだろう……そんな考えが過ぎったのは、鮮やかな夕焼けと、街角の歌唄いから流れてきたメロディのせいかもしれない。
いつの事だったのか、それさえも朧気なほど昔の記憶だ。
日が沈みかけてもなお、日中に蓄えた熱がアスファルトから立ち上り、じっとりと汗がにじむ。
ふーーっ。
亜沙子は静かに息を吐くと、紅く染まった街並みに目線を送り、届いてくる歌声に耳を傾けた。
あの子に出会ったのも、たしかこんな日だった……。
夏の匂いに秋の気配が混じり始めた9月中頃、銀杏の葉が夕焼けに染まり、様々な色を映し出していた。
踵にできた靴ずれと、成果の上がらない飛び込みの営業の情けなさが、その哀愁と相まって心に影を落とす。
なんで……あたしだって頑張ってるよ。先輩のアドバイス通りにやってる。なめられないように、でも低姿勢に、毎日毎日笑顔振りまいて、頭下げて。なのに……仕方ないじゃない。
「あーーーー!!」
こみ上げてきた涙を堪えようと、声を振り絞る。
「わーー、わーー、わーーーー!」
ははは……はぁはぁはぁ。
笑いと切れた息が混じり合い、やがて小さな嗚咽へと変化した。
どれくらいの時間がたったのか、ほんの5分やそこらかもしれない。落ち着いてくると、どこか陽気で、優しく哀愁を含んだ唄が聴こえていることに気がついた。
音を探して目を配ると、夕焼けに溶けてしまいそうな、でも輪郭のハッキリとした女性の姿があった。アコースティックギターの音色が、唄声が、さっきまでの毛羽だった心を梳かして滑らかにしてくれる。
お互い存在は気づいているのに、声をかけることも、目線を合わせることもなく、唄い、聴いた。
誰に否定されることも評価される事もなく、そのままで良いと、今はそれしか出来ないのだと頭を撫でられている、そんな時間が2人の間を流れていった。
結局、あの日そのまますれ違い、また会えた時に声をかけてみようと思ったまま今日まで来てしまった。
あの日のあたしには、彼女の唄が、存在が間違いなく必要で。
彼女にとって、ただ遠くで耳を傾けていただけの存在がどうだったのかは、確かめる術はないのだけれど。
ここではまた出会う事が出来なかった彼女が、どこか違う街角で、ライブハウスで今もその唄声を、音色を、響かせてくれていたら。
そう心に願いを込めながら、今は別の歌唄いの声に耳を傾けて明日からの日々を夢見ている。
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