【書評】 常識と快感のリミッターを外し人間存在の真実へと掘り進む──加藤シゲアキ『チュベローズで待ってる』
「小説 野性時代」2018年2月号掲載。画像は2022年6月刊の文庫版ですが、内容は書評執筆時の単行本版に基づいています。下巻の内容にも触れていますので、背中を押されたい方向きです。
作家ならば誰もが一度は挑戦してみたいと思う、上下巻。自他共に認める代表作となることが義務付けられた、大長編。加藤シゲアキは作家デビュー六年目の第五作『チュベローズで待ってる』でついに、実行に移した。上巻は「AGE22」(第1部)、下巻は「AGE32」(第2部)と銘打たれている。それぞれの物語が開幕した時点での、主人公の年齢だ。こんな上下巻、読んだことがない。
二〇一五年秋から始まる上巻でまず驚かされるのは、主人公・光太の「就職活動全敗が確定した日、歌舞伎町でスカウトされてホストになる」という初期設定をセットアップする速さと滑らかさ、それに伴う文章のスピード感だ。題材、物語の展開、文体——すべての要素をエンタメ方向へと舵取りした作家は、回想をできるだけ使わず(スピードが遅くなるからだ)、現在、現在、現在で押していく。これまでも書き継いできた「ボーイ・ミーツ・ボーイ」の関係性は、ホストクラブのチュベローズの内外でさまざまな形で花開き、計り知れない内面を持った女性達も確かな実在感を発揮。ホストとして培った度胸やコミュニケーション技術が、二度目の就活で活かされていく……という二重構造は、主人公に感情移入しながら読み進める読者にとって、快感以外の何ものでもないだろう。あっという間に最終ページに辿り着き、そこで目にした光景を前に、下巻をすぐ手に取らざるを得なくなる。
長い物語を読む楽しみは、登場人物と記憶を共有し、思い出す喜びを味わうことにある。一〇年後へと時が進み、二〇二五年夏から始まる下巻では、光太が会社員となり、気鋭のクリエイターとして活躍している。かつての夢が現実となり、上巻の登場人物達との再会と和解が連鎖する序盤は、下巻へと読み進めてきた読者を確実に射抜く、快感の嵐なのだ。と同時に「新宿女子高生連続失踪事件」に象徴される小さなクエストが積み重なり、関係者としてやむを得ず探偵役を務めることになった光太の快進撃もまた描かれていく。SF的ガジェットを投入した近未来描写も頼もしく新鮮で、あぁ、やっぱりこの物語は面白い。そう思っていたから、まさかあんな感情を味わうことになるとは想像もしていなかった。下巻で作家が試みた何よりのチャレンジは、常識という名のリミッターを外し、読者が快感だと思えるラインを大きく逸脱して登場人物の内面をとことんまで掘り進めることだったのだ。それはフィクションだからできる「実験」だ。「実験」に裏打ちされた物語を通して人は、己の真の姿を知るのだ。
上巻は壮大な「フリ」で、下巻は「オチ」だった。あるいは、上巻がエンターテインメントの王道を行く物語という意味で「ベタ」だったとすれば、下巻は「メタ」。主人公の活躍を追体験する物語ではなかったのだ。主人公の活躍を追体験する「私」についての物語だった。こんな上下巻、読んだことがない!
著者はジャニーズのアイドルとしても活動している、というきらびやかな前情報を完全に忘れる、総計五三八ページ。自他共に認めざるを得ないだろう代表作であり、問答無用の最高傑作だ。
※次作『オルタネート』で自己記録を更新した感はありますが、個人的には本作が"裏ベスト"です。新境地の切り開きっぷりは、本作が図抜けていると思うからです。
※筆者が刊行時におこなった著者インタビュー記事から、一部引用します(「ダ・ヴィンチ」2018年1月号より)。
「僕はもう久しくオーディションとか受けてないけれど、就職の面接と通ずる部分ってあるじゃないですか。ホストもそうだし就活に関しても、直接は関係ないような自分の経験を、小説の中に活かしていけるチャンスが意外と多かったんですよね。この仕事をしていてありがたいのは、いろんな経験ができること。情報番組のリポーターをする時は行ったことのない場所だとか、普段会うことのない職種の人たちと話すこともできるし、俳優をしている時にはそれこそ会社員の日常とかを疑似体験もできる。結局、取材していないようですでに取材ができているってことかもしれないですね」
その言葉を聞いて、直木賞作家・桜木紫乃が今秋刊行した『砂上』の文章を思い出した。文芸編集者が、小説家に放つアドバイスだ。〈経験が書かせる経験なき一行を待っています〉。虚構とは、作り手が経験した現実を再現するものではない。でも、作り手が経験した現実は、虚構を生み出すためのネタになりエサとなり、絵の具やスコップやルーペになり得るのだ。
「その一行自体が、めちゃくちゃいい一行ですね(笑)。第1部で描きたかったのは“ホストの経験を通して、サラリーマンになる主人公の成長譚”だったんですけど、それって僕自身の実感も入っているんですよ。僕は本を書くという経験を通して、ジャニーズのタレントとしての意識が変わったし、自分を成長させることができた。つまり、一見すると目的とはまったく関係ないようなジャンルを経験することで、本来の目的が達成できるようになった。その実感を主人公の成長に重ね合わせて書いていったのが、前編の物語だったんです」
やがて、前編のラストシーンへと辿り着くのだか……。
「連載の最終回でもあったので、それまで読んでくれていた人が“マジかよ!”ってなる、衝撃的な幕引きにしたかったんです。本で初めて読んでくれた人にとっては、上巻だけ買ってなんとなく下巻は買わずにいたなら、書店に走らざるを得なくなるのが理想です(笑)」
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