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【書評】ダメにダメを重ねた主人公が、ダメをバネにして大ジャンプ ──尾崎世界観『祐介』

クリープハイプのメジャーデビュー10周年に、尾崎世界観さんが初の歌詞集『私語と』(河出書房新社)を刊行しました。クリープハイプの初期の歌詞は、小説デビュー作『祐介』の物語や匂いとダイレクトにシンクロ。『祐介』単行本刊行に執筆した書評を公開します。

 始まりは、乙一だ。そこから町田康や車谷長吉に変貌し、津村記久子や村田沙耶香の想像力と共鳴して、安部公房に一礼ののちラストは太宰治に辿り着く。悲観主義者の太宰ではない。最低最悪どん底死んだほうがましな状況下で、死ではなく生に“逆張り”する、楽観主義者の太宰だ。いったいなんの話か。尾崎世界観の作家デビュー作『祐介』の話だ。
 著者は、人気急上昇中の四人組ロックバンド「クリープハイプ」のボーカル。作詞作曲も手掛け、その独特な世界観が注目を集めている……と、自身の音楽に投げかけられがちなワードに疑問を感じ、「尾崎世界観」と名乗るようになる(公式サイトの記述より)。ウィキペディアを見れば一秒で分かる。本名は「祐介」だ。そして、この小説の主人公の名前でもある。
 物語の序盤で、高校卒業後に就職した製本会社を一年で辞めて四ヶ月ほど経ったという記述があるから、二十歳前後。主人公は風呂なしのアパートで夢を追い、売れないバンドマンをしている。スーパーで来客を呪いながら夜勤バイトをし、ライブハウスに高額のチケットノルマを収め、「自分達の客に手をだしてはいけない」というバンド結成時のメンバーとの間の規則を守り、他のバンドのファンに手を出す。すべてを音楽に注ぎ込みたいのに、生活というノイズが強烈すぎて、まったく集中できていない。このイライラは、心当たりがある。このイライラの名前は、青春だ。
 己の日常を高解像度で、優しさではなく意地悪な目線で見つめてみせる、いわゆる「私小説」だ。にもかかわらず……もう一度書こう。始まりは乙一、なのだ。冒頭の一章を読めばたちまち、書き手の「小説」に対する覚悟や挑戦心を確信することができるだろう。
 長編でありながら、短編を積み重ねていくような感触もあるため、読み味やスピード感が章ごとに微妙に変わる。ドアを開けたら壁でした的な、危なっかしさがある。そう書くと「小説」のハンドリングに慣れていない、新人らしさなのではといぶかる人もいるかもしれないが、実際の読み心地としては、個性だ。
 感情を風景に託す地の文にもハッとさせられたが、なにより個性を感じたのは、長台詞だった。主人公の前に現れ、彼の現実をかすかに揺るがす、登場人物たちの長台詞がことごとくいい。カギカッコの始まりから終わりまでを、その人物ならではの充実度で満たすことに成功している。例えば、バイトの同僚の多賀さん、ピンサロで出会った瞳ちゃん、京都の弱小ライブハウスの主であるポンさん……。特にポンさんの、「そんなことを俺に聞くなんて、Yahoo!の検索画面にGoogleって打ち込むみたいなもんやん。やってることが矛盾してるよ」というフレーズを含む長台詞と、その言葉をカリスマからの御神託と受け取った周囲の陶酔っぷり、一人だけまったく付いていけてない主人公の茫然は、恐怖と笑いが完全合致した名シーンだ。
 そして、ラストだ。ダメにダメを重ねてきた主人公が、ダメをバネにして大ジャンプし、「小説」の更なる高みへと飛翔するとびきりのラストシーンだ。感動した。確信した。ここに、素晴らしい小説家が誕生した。

※初出は「小説 野性時代」。『祐介』の文庫版は、スピンオフ短編「字慰」がカップリングされています(文春文庫)。

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