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【書評】 少女、記憶、花束。──織守きょうや小論

1.『黒野葉月は鳥籠で眠らない』(2015年3月刊、講談社。文庫化に際して『少女は鳥籠で眠らない』と改題)

 法律は、罪を裁くためだけにあるのではない。世の中的には悪にして不義、ただしその人物にとっての「正義」を、通すためにもある。それをサポートするのが、弁護士だ。だから彼らは時に、「正義の味方」と呼ばれる。
 現役弁護士にして新鋭小説家・織守きょうやの最新刊は、弁護士2年生の木村龍一を主人公にした連作ミステリだ。まだまだ“青さ”の残る龍一の前に、さまざまな思惑を抱えた依頼人が現れる。第1話で対面するのは、家庭教師先の15歳の少女に「淫行」したとして逮捕・拘留された、21歳の大学生。「娘に金輪際近づかない」と約束すれば示談にする、という被害者の両親の意向を伝えたところ、青年は首を縦に振らなかった。その直後、被害者の少女が弁護士事務所のドアを叩く。「私の、片想いだった」。しかし未成年である本人の証言だけでは、不起訴に導くことはできない。保護者である両親と頭の固い大人たちが作った法律を覆す、逆転の一手はあるのか? 依頼人の見えない本心を想像させる、ラストの一気呵成の走馬灯は快感の極みだ。
 本格ミステリとして鋭い切れ味を見せつけた第1話に始まり、変化球を挟んだ後、最終第4話ではドラマ方向へと舵を切る。そこで読者は必ず、気付くことになるだろう。依頼人の「正義」とは、「愛」から生まれることを。
 ある事件の結末に立ち会った後、龍一は「強い意志と目的を持った人たちにとっては、弁護士も道具でしかないのかもしれない」と思う。「きっと自分はこれからも、依頼人たちに嘘をつかれたり利用されたりするだろう」と。その言葉に続いて披露される決意は、どうしようもなく欲深く執念深い、人間存在への愛情告白だ。「正義の味方」は、「愛の味方」でもあるのだ。
 ラノベ系新人賞でデビューした著者の、これが一般文芸進出第一作。その才が騒がれないはずはない、傑作です。

2.『記憶屋III』(2016年6月刊、角川ホラー文庫)

 織守きょうやは「愛と正義」の小説家である。現役弁護士でもある彼女が職能を活かして書いたリーガル・ミステリー『黒野葉月は眠らない』(二〇一五年三月刊)で、そのポテンシャルが垣間見え、第二二回ホラー小説大賞読者賞を受賞した『記憶屋』(同年一〇月刊)で、証明されることとなった。
本を開いてすぐ、目に飛び込んでくるのはこんな噂話だ。<夕暮れ時、公演の緑色のベンチに座って待っていると、記憶屋が現れる。そして、消してしまいたい、どうしても忘れられない記憶を、消してくれる>。セピア色をしたノスタルジックなムードが、主人公である大学生・遼一の語りで一変する。<実際に記憶屋に記憶を消されたと思われる人間を、三人知っている>。「一人目」は、三つ年下の幼馴染み、河合真希。「二人目」は、大学の飲み会で一目惚れした、一学年先輩の澤田杏子だ。杏子は過去のトラウマで、夜道の恐怖症に陥っていた。シリーズ中何度も登場することになるフレーズは、彼女の口から飛び出すことになる。「記憶屋って、知ってる?」。再び出会った彼女は、遼一のことを一切忘れていた。
「三人目」の事件を経て、遼一は真相を知るために、記憶屋の影を追い掛け始める。遼一を狂言回しにした連作短編形式で、記憶屋に依頼せざるを得なかった人物の気持ちと、その周囲にいる人々のドラマが記録されていく。彼らの関係性に横たわる感情は、恋愛であり、友愛だ。一目惚れは別として、愛は記憶でできている。それらが失われてしまった時、あえて失わせたいと思った時に、どんな感情が渦巻くことになるのか? ホラーの賞を獲得したこの作品は、愛の物語でもある。「意外な犯人」の驚きや恐怖と同時に、せつなさが発動するラストシーンで、読者はそのことを確信する。
 こんなふうに完璧なエンディングを迎えた物語を、どうやって続けるのか?
 続編『記憶屋Ⅱ』(五月刊)で狂言回しに選ばれたのは、四年前に起きた「集団記憶喪失事件」の当事者のひとり、女子高生の夏生だ。記憶屋が関与しているのでは? 独自の調査を進める大手新聞社の記者・猪瀬と共に、夏生は過去の事件の謎を解き明かそうと試みる。その過程で、記憶屋に記憶を消してほしいと願った依頼人たちの心を知ることになる。
「記憶屋は、誰か?」。第一話の段階でフーダニット・ミステリーとしての前提条件がくっきり提示されている本作は、前作同様、愛の物語でもある。愛のバリエーションが広がっていると同時に、もうひとつ。前作で芽吹いていたテーマが、大きく花開いている。「正義とは、何か?」。記憶を消すことは、いいことか悪いことか。記憶屋が行っていることは、悪なのか正義なのか。完結巻『Ⅲ』(六月二五日刊行予定)のラストシーンは、その問いを突き詰めていったからこそ出現することとなった。そして、前作以上のサプライズと、怖さとせつなさが爆発した。
 もう一度書こう。織守きょうやは「愛と正義」の小説家である。その言葉の意味を、『記憶屋』全三巻を読み継ぐことで体感してみてほしい。

3.『花束は毒』(2021年7月刊、文藝春秋)

 現役弁護士という職能を活かしたリーガルミステリーや、せつなさ溢れるホラー「記憶屋」シリーズで知られる織守きょうやは、「愛と正義」の作家である、と昔書いたことがある。では、最新長編にして新境地突入の本格ミステリー『花束は毒』はどうか。
 法学部一年生の木瀬芳樹(「僕」)は、かつて世話になった先輩・真壁研一の家に脅迫状が届いていることを知る。偶然目にした一通に記されていた言葉は、「良心があるのなら、結婚をやめろ」。脅迫状は、恋人と婚約した頃から何通も届いているのだと言う。犯人を突き止め、脅迫をやめさせるために探偵を雇った方がいいと木瀬は進言するが、真壁はなぜか動かない。ならば……「僕が依頼します」。
 依頼を引き受けたのは、木瀬の中学時代の一年先輩であり、若くして探偵事務所で「所長代理」を務める北見理花だ。彼女は成功報酬を安くするかわりに、木瀬を自分の助手に任命する。その後は章ごとに探偵(「私」)と助手(「僕」)の視点が入れ替わる方式で、脅迫事件の真相が少しずつ明らかになっていく。
 木瀬は、中学時代にも「探偵みたいなこと」をしていた理花と因縁があった。彼女にある事件の解決を依頼した結果、正義とは何かと疑わざるを得なくなる事態が引き起こされたのだ。法曹一家に生まれ自らも検察官を志す、自他共に認める「正義感の強い人間」である木瀬は、今回の依頼を成功理に導くことで、中学時代の苦い記憶を塗り替えようと試みる。
 探偵の助手は、探偵の依頼人でもある、という設定が効いている。大人になった探偵は、中学時代とは違い「調査と報告以外はしない」と宣言する。探偵の報告を元に「解決」に向けて踏み出すか否かは、依頼人である木瀬の判断に委ねられているのだ。その結果、青さ全開の法律家の卵は、正義とは何かというテーマと再び向き合うことになる。では──愛はどうか?
 半ば放心状態で読み終えながら、痛感した。この作家が書き続けてきたものは「愛、と、正義」、バラバラの二項目ではなかった。いつだって常に「愛と正義」、二者間の関係性を書いてきたのだ。それが、ここで、これまでとは逆方向で噴射した。注意してほしい。この「花束」は、「毒」だ。
 マーガレット・ミラー『まるで天使のように』や、沼田まほかる『彼女がその名を知らない鳥たち』と並び、鮮やかな「幕切れ小説」オールタイムベスト10に入ることも付け加えておきたい。「愛と正義」の作家の、恐るべき最高傑作だ(ただし、毒)。

※1は「週刊SPA!」2015年春、2は「本と旅人」2016年夏、3は「小説現代」2021年9月号に掲載。

※織守作品の魅力は「愛と正義」のみに縛られるわけではありません。例えば、『朝焼けにファンファーレ』(2020年11月刊、新潮社)はリーガル・ミステリーの新規軸を開拓しています。同作の書評は、下記URLよりどうぞ。
https://kadobun.jp/reviews/7epbedwhyeos.html

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