慶應文学部合格体験記
早稲田法の合格体験記を書いたので、もう一つ早慶で合格している慶應文学部について書いてみようと思う。
慶應文学部の受験を決めたのは、出願〆切ギリギリになってからだった。
国公立の出願を後期一橋社会にしようか東大文系後期にしようか迷っていたということもあるくらい人文・社会科学系には興味・関心があった。
また、嫌らしい話になるが、早稲田法に落ちれば中央法行きになってしまう。
私は中央法のブランドが嫌というより、キャンパスの場所が厳しかった。
夏休みにキャンパス見学に行ったのだが、ここに4年間通うのは厳しいと感じた。ゆえに慶應文学部も受験することにした。
慶應文学部の入試は今でこそ早稲田法と同一日だが、私の頃は違った。おそらく早稲田国際教養学部や慶應の薬など新しい学部がこの20年ほどでできたこともあり、一般入試日の組み換えが行われたのであろう。
さて、2月14日に新大阪発の新幹線に乗り、横浜のホテルに入った。
ホテルは慣れないが、ホテルのテレビを見たり、ネットを見たりして時間を潰した。友人とメールをしていて、「東大文Iと早稲田法に落ちても慶應ボーイにはなれるから」と送った。割と強気だったなと思う。慶應文学部は過去問を一年分解いたところ、ボーダーは超えたと感じたので自信があった。
さて、入試当日、日吉に入る。
もうあまり記憶にない。何せ20年以上昔の話だ。
だが、入試当日の試験前にこんな話を試験官の方がされていた。
「皆さん、緊張していると思います。さて、昔の話なんですが、写真照合で顔を確認したところ、男性が女装している方がいた。確認すると、受験生のお父さんのようでした。失格にしたんですが、ビックリしましたね。」
教室に笑いが走る。
そんなこともあり、一科目目の英語である。
当時は透かし読み対策がなされておらず、裏面から問題文を読んだ。
慶應文学部は辞書持ち込み可である。
英作文の問題が透けて見えたので、和英辞書で解答を確認していた。これで5分ほどは短縮できたかもしれない。平易な問題だった。
試験開始の合図とともに英作文を埋めた。これで10点ほどは確保なのだろうか。慶應文の配点はよくわからない。長文を読んでいく。時間には余裕がある。あまり辞書は使わなかった。英単語集をやりこんでいたので迷う単語はそれほどはなかった。サクサクと読み進めていく。文法で一問迷ったが、その程度。要約、和訳は東大対策でやりこんでいる。
試験時間120分であるが、90分でやり終えた。
最低8割、上手く行けば9割の出来。
合格最低点は220点ほどだったので、英語で合格を確信する。
二科目目は小論文だった。
要約はしっかりとこなした。
意見論述で、「他者の他者としてのじぶん」というテーマだった。
他者を通してしか自分は認識できない、ということについて掘り下げた。
小論文は60点、最低50点はあると感じた。
ここで最低確保点は170点。
世界史で5割取れば合格だな、と安堵する。
最後は世界史だ。
本当に難しい。おそらく慶應文学部は早慶の中では簡単なほうなのだろうが、センター試験で現役95点、一浪93点では全く対応できない。それなりに埋めて終了。しかし、50点程度はあるだろう。
英語120、小論文50、世界史50は最低あると感じ、試験終了と同時に合格を確信した。
後に代ゼミの解答速報で解答を確認した。
自己採点で、英語120~135、小論文60、世界史54(27/50)となった。
低く見て、234点。安全圏だ。
慶應文の発表日は2月25日だった。
今思えば、自信があったものだと思うが、東大の一日目が終わったその足で、三田キャンパスまで発表を見に行った。
人はほとんどいなかったが、掲示板を見ると、番号があった!
初めての早慶合格である。二浪はない、と思うと安堵した。
掲示板に当時は合格者最高点も掲示されており、小論文の最高点が100点となっていたのが印象的だった。ちなみに番号を見ると、正規合格をしたのは、教室に30名程度はいたと思うが、私一人だった。
慶應に入学することはなかったが、家族からは早稲田法と慶應文では慶應を勧められた。父は早稲田法推しであったが、母と弟は慶應を推していた。「早稲田よりは慶應のほうが良いだろう」と弟。母は「プライドの高い大輔には慶應のほうが合っている」とのこと。一方で父は、「日本は法治国家だ。結局は法を知っているものが強い」とのことだった。相当に迷ったが、早稲田法を選んだ。これはどちらが正解か今でもわからない。
以上、慶應文の合格体験談でした。