ショートショート7『3大誰かの陰謀で定着してしまった風習』
今日は土用の丑の日だ。
僕はお昼に職場の近所の弁当屋が作った格安うな丼を食べた。
甘辛いタレと柔らかい鰻の身は確かに僕のお腹を満たした。
僕はこれでいっぱしに「季節を追っている男の風」を装ってみたのだけれど、どうもしっくりこない。
僕は僕で世間一般の風習に流されず、どこにも属せず我関せず唯我を独尊していくのが性に合っている。
僕は食後に休憩室のマガジンラックから雑誌を取り出しパラパラめくっていくうちに、土用の丑に鰻を食べるというのは平賀源内が作ったキャッチコピーである事が書かれてあった。
世の中にはそういう誰かが商売で作った仕仙みが世の中の風習になってしまっているのがいくらもある。
土用のうなぎの他にはヴァレンタインデーなんかもそうだ。
日本ではチョコレートを贈る習慣が定着してしまっているが、あれはチョコレートの会社が作り広めたのだとかなんとか。
あとひとつ。
あとひとつで、僕は「3大誰かの陰謀で定着してしまった風習」を完成させることができる。
土用の丑の日のうなぎと、ヴァレンタインデーのチョコと。
あとはあるかな?
クリスマスの赤い色。
あれはコカコーラが定着させたものと伺っている。
いや、あれは風習と言えるかどうか。
「おぼんだま」なんてのは?
お正月のお年玉に対して「おぼんだま」なんて、どこかのショッピングモールが流行らそうとしているが全く流行る気配はなし。
シチューかけごはん。
シチューをごはんにかけて食べるのをみな恥じらっている風だが、いやいや意外といるのだ、そういう邪道な背徳に身を置く者が。
話がズレてきている。
僕は困った。
ここで僕が「3大誰かの陰謀で定着してしまった風習」を完成させねば、僕を含めた周囲は大きな損害を蒙ることになる。
ひとつは、僕が午後の仕事が手につかなくなること。
ただでさえ眠いのに、さらにその脳漿の大半を占める眠気の隙間に追いやられた僅かな思考回路さえ、「3大誰かの陰謀で定着してしまった風習」の選定に費やさねばならず、うっかり誰かが僕に話しかけようものなら、僕は餌を横取りされそうになった野犬のように吠え威嚇し、場合によってはその人の喉笛を噛みちぎらなければならない。
これでは僕は精神異常者の犯罪者の加害者になってしまい、その行為の理由としてこの冷房が効いたオフィスでは「暑さに頭をやられてしまって」という言い訳は、到底通じないだろう。
ついでに僕の職場は精神異常者の飼い主となり、精神異常者の巣窟であると早合点をする近所の人もいるだろうから、僕は大きな損害を会社や地域に与えてしまう。
さらについでに言うと、僕が噛み付いた人の人生を終わらせてしまう。
これはいけない。
僕は必死に考えた。
僕の必死の形相は閻魔もたじろぐ醜相なので、この時点で同じくお昼休憩中の周囲にヴィジュアルという面で迷惑をかけているのだろうが、この状態の僕は誰かに横槍を入れられたとしても、牙を向くほどのことはしないので、どうか醜相だけでご勘弁いただきたい。
ホワイトデーや節分、お彼岸など、日本における風習や季節の行事などをあげてみたが、どうにもこれというのが見つからない。
そのうちに、そうか僕はそういったマスメディアや因習に影響されない、独尊を唯我な男であったことを思い出し、ならばそういった風習や新風習、ネオ風習に疎くて当たり前なのだと気づいてしまった。
これ以上「3大誰かの陰謀で定着してしまった風習」に脳漿を費やしたとて、明確な納得のいく回答は出やしないのだ。
これをお読みいただいた貴兄らには大変申し訳ない。
あとは、各々で「3大誰かの陰謀で定着してしまった風習」を完成させていただきたい。
そして、気が向いたらで構やしない、そっとでいいので、貴兄らの「3大誰かの陰謀で定着してしまった風習」を教えていただきたい。
貴兄らが「3大誰かの陰謀で定着してしまった風習」を完成させたそのご満悦な顔をお見せいただいたところで、僕は嫉妬の炎を燃やしたりしない。
むしろ拍手喝采、打てるだけ手を打ち、打てるだけ膝を打ち、それでも足りぬなら道行く人、喫茶店でカフェモカ飲む人を捕まえて、拍手喝采に参加させようではないか。
その道行く人、カフェモカ飲む人も、貴兄が「3大誰かの陰謀で定着してしまった風習」を完成させたのだと知ると、拍手を惜しむことをしないだろう。
ああ、なんと素晴らしいこと!
僕はその日を今日か明日かと首を長くして心待ちにしている。
こんなに毎日が待ち遠しく楽しく華やかになるなんて。
そろそろ仕事に戻らなくちゃ。
僕は表紙に「人は3大◯◯を決めたがる」と書かれたその雑誌をマガジンラックに戻した。