2006年のこと(秋)
2019年7月2日火曜日。
映画「モデル 雅子 を追う旅」公開22日前。
イタリアから帰ってきて、夏のど真ん中をどう過ごしていたのか、あまり記憶にない。多分、僕自身はそれなりに忙しくしていたんだと思う。確か「木更津キャッツアイ ワールドシリーズ」の公開が2006年10月28日。その宣伝作りを頑張っていたのは確かだ。
一方で、きっと雅子も忙しくしていたんだと思う。こちらに転がり込んでくる、引っ越しの準備があったからだ。一人暮らしにしてはちょっと広めの部屋にしていて良かった。巣は広めに作っておく、すると相手が飛び込んでくる、なんて動物モノのドキュメンタリーで観たような覚えがあった。
雅子と二人で今の住まいに引っ越してくるときのことは、まあまあ覚えている。しかしその前段階の、一人暮らししている僕のところに雅子が引っ越してきたときのことは、あまり覚えていない。雅子の友人が色々と手伝ってくれていたような。しばらく使わないような大物の家具なども、デカいガレージで預かってくれる、というふうに。
そういえば、しっかり考えて導入したお気に入りのソファベッドが、いつの間にか雅子のソファベッドに入れ替わった。カーテンも、お気に入りの淡いオレンジのが、いつの間にか雅子の白いミラーレースのに替わっていた。
「……どこやったの」
「いいじゃん」
「あんなデカいものどこやったの」
「だってさ、あたしはこっちのが良いからさ」
本当にどうしたんだろうか。
誰か持っていってくれたんだろうか。
一人で車で出かけていて、帰宅するときに、道からアパートの窓越しに灯りが見えた。「待っていてくれる人がいる」ということが、これほど心安らぐものなんだと、あらためて感嘆した。帰宅すれば、先に帰った雅子が何か作っているところだったりする。絵に描いたような初秋の夕方だった。
「で、どうする?」
来た。そこで、どちらからともなく話し出す。
「もう二人とも2回目だしさ」
「まあそうだねえ」
「式とかはさ」
「いいよねえ」
「まあ、写真くらいはアリだけど」
「まあ、紙で」
ということになり、いつその「紙」を出しに行くのかを考えた。
忘れない日が良い。
その場の思いつきや語呂合わせなどでなく、
季節や体感でしっかりと記憶できる日。
秋分の日だ。この年は9月23日。
手帳にもカレンダーにも書いてある。毎年祝日になる。日付が前後しても「日」そのものはある。昼と夜の長さが同じになる日。そこから冬に向かって日が短くなり始める。朱夏から白秋への節目の日。
出会いが春、恋が夏、結婚が秋、まあ悪くない。
で、まさにその日、区役所に紙を出しに行った。
そこら中が秋っぽくなって見えたのは気のせいか。記憶ではもう区役所の周りが落ち葉だらけだったように思える。そして、何だか少し肌寒いくらいだった。本当にそうだったんだろうか。
案の定、区役所は閉まっていて、脇の隅っこの窓口がひっそり開いていた。
「すいませーん」
「こんにちはー」
というぼんやりした挨拶で、係のおじさんが
「はい、おめでとうございます」
とのんびり受け取ってくれた。
「じゃあ、どうしよっか」
「お祝い、なんか食べに行こうか」
と言って、世田谷線に乗り、あちらの端までトコトコ走っていって、終点の駅のそばにある、土を塗り固めたような外装の、なんだか暖かい雰囲気のお店で、窯焼きのピザとか食べたのだ。
とくに晴れがましくも騒がしくもない、それなりに人生そこそこ歩んできたぜという二人の、静かな結婚の日だった。
このあたりの写真がないんだよな。
トップの写真は、雅子が撮った秋の空。
この時期の写真とか、見つかったら上げますね。