オリーブのこと。
2019年7月16日火曜日。
映画「モデル 雅子 を追う旅」公開10日前。
雅子と二人で今の住処に住み始めたのは、2007年の3月末。
とりあえずリビングと寝室を大きく空けて、
荷物の箱を、書庫にする部屋と僕の仕事部屋に押し込みつつ、
少しずつ片付けていく。
それもそこそこ見えてきた5月くらいに、
どちらからともなく「屋上になんか植えたいね」と言い出した。
常緑樹で手入れが雑でも育ってくれるのがいいな、
と漠然と思いながら、二子玉川の園芸店に行ってみる。
3階建てくらいの大きな店舗を
フンフン言いながら二人で見て歩き、
ふと目にしたのが、オリーブだった。
ちょうどまあまあ暑い日だったように思う。
こんな日は屋上でビール…おつまみは…なんて思っていて、
「いいかも」と思ったのは間違いない。
雅子も「育ったら食べられるのかな?」とワクワクしだした。
二人とも「植えたら食べる」「食べられるものを植える」
という気は合っていた。
店員さんに訊いたら、
「二種類の株があれば、互いに受粉して実が成るようになる」
と教えてくれた。そうなんだ。
そこで「ネバディロ・ブランコ」と「マンザニロ」の二種を買った。
ネバディロ・ブランコは枝がシャキシャキと直線的。
マンザニロは枝がふにゃふにゃと曲線的。
背はマンザニロのほうが高くて、幹はネバディロの方が太かった。
とはいえ、両方とも土から30cmあるかないかくらいの苗だった。
車に苗の鉢、育ったときのための大きめの鉢を2つ、
「オリーブ用」の土、肥料、などなどを積み込んで帰ってきた。
ここから「屋上・ガーデニングライフ」が始まったのだ。
屋上に鉢を2つ並べて、
雅子は「二人の記念樹だね!」と嬉しそうに笑った。
最初の1年はとにかく背丈を稼ぐ。
花が咲いても、実がなるのはほんの2、3個ずつ。
小学生の時に花壇でイモを育てていて、
なかなか大きくならなかったときのことを思い出す。
実がなってそれを摘んでも「渋抜き」が上手くできない。
次の2年くらい、せっかく摘んだオリーブの実をふやかしてしまった。
雅子は「タプナードだよ」と言いながら、
パンに塗ったりパスタに和えたりして、食べてくれた。
手応えが初めてあったのは2010年。
マニュアル本を買い、
薬局で渋抜きに必要な苛性ソーダもちゃんと手に入れ、
インターネットでも複数のサイトで調べた。
春先には一回りデカイ鉢に植え替えていて、
枝も幹も伸び放題伸びた。
今までで一番の大豊作だ。
この実から「渋」を抜く。
雅子に問題を出す。
「水1リットルに対して苛性ソーダを2%。そのときの薬品の量は?」
「ムリ」
即答である。
デジタルスケールで20g量った苛性ソーダを1リットルの水に溶かし、
それを2回ほど繰り返す。
タッパーに収穫したオリーブを詰め込み、苛性ソーダの水溶液に浸すのだ。
それを冷蔵庫にしまって、調子が良いと、24時間経った次の日には、
水溶液が真っ黒になるほどの渋がにじみ出ている。
そこで渋を吸い出した液を捨て、真水に入れ替える。
今度は真水が透明になるまで、2〜3日水を入れ替え、
さらに、塩を少しずつ足しながら2〜3日塩水を入れ替える。
だいたい1週間で「オリーブの新漬け」の出来上がりだ。
これを毎年、それなりの量作れるようになった。
雅子は「これは公式に、大介の【得意技】にして良いね」と言いながら、
ご満悦でオリーブをかじっていた。
それほど食欲がないとき、
前日に食べすぎて、今食べたくてもそうはいかないとき、
オリーブを数粒、よく噛んで食べれば、
空腹が治まって、そこそこ満足できた。
これはこれで二人で培った収穫なのだ。
2014年、闘病している最中でも、
雅子は楽しそうにオリーブを摘んだ。
それ以来、しっかり実が成ったのは、
たしか2016年の1回だけだったような気がする。
映画作っていて、ロクに世話ができていない。
2017年は剪定してまる1年お休み、
2018年は映画制作と公開交渉が大詰めでそれどころじゃなかった。
2019年の今年は冬の間に土替えと肥料までやったのに、
花が咲くタイミングが互いにズレた。
もうちょっと慈しんでやれたら。
忙しくて気が荒んでいるときに屋上に上がってオリーブたちを見ると、
そんな気になってしまう。
そして、ずっと鉢の中にいる彼らが、
なんだか窮屈にも思えてくることがある。
映画をやりきったらどうしようか?
どこに行こうか?何をやろうか?
オリーブに訊いてみたりしている。
彼らは雅子と僕のことを、
ずっと見てきているのだ。
何か、きっと判っているはずだ。