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静寂の五分間 女優・吉永小百合

 その女優が舞台に登場すると、会場からは盛大な拍手が送られ、そして歓声とため息が漏れた。その女優が言葉を発したその瞬間、会場にいる人間は一瞬にして静まり返り、女優の言葉を一言も聞き逃すまいと耳を傾けた。

 その体は決して大きくはないが、その存在は日本映画を代表する女優として、そして、最後の映画スターとして、堂々たる気品と存在感を放つ。

 女優の名は、吉永小百合である。

 この度、吉永小百合さんは「難病克服支援 第三回MBT映画祭」の主旨に賛同され、映画祭のフィナーレを飾る特別上映映画「最高の人生の見つけ方」の舞台挨拶に登壇されたのだった。

 ワインレッドのシックな衣装に身を包み、小百合さんは静かに舞台に登場した。ハイヒールのカツカツカツという、舞台を踏み締める小百合さんの足音だけが会場に響き渡る。私の隣に座っていた女性は「なんて素敵なの!」と感嘆し、私は固唾を飲んで、その一挙手一投足に目を凝らした。

 小百合さんは五分間スピーチをされたが、ご自身が主演を務めた映画「最高の人生の見つけ方」について話をされ、それに続いて映画祭に関する話、ご自分の女優人生についての話、そして若い人に向けてのメッセージ、それらを一つ一つ言葉を選びながら丁寧に話された。その間、会場の誰一人として、咳払い一つする者はいなかった。

 これぞ、映画スター・吉永小百合の魔法である。

 こういう医療をテーマにした映画祭に舞台挨拶として登壇する場合、いくら小百合さんのように何千、何万と舞台挨拶をして来た大スターであっても緊張するのかもしれない。

 私は小百合さんのマイクを持つ手の僅かな落ち着きのなさに、些かの緊張を見たような気がしたのである。

 五〇〇人の観客の視線を一身に集め、舞台挨拶を終えた小百合さんは、また静かに元来た方向へと踵を返し、盛大な拍手を背に受けながら舞台を後にした。

 病気をテーマに扱ったシビアな映画が七作連続上映された後に訪れた、緊張から解放させる映画の女神が与えた夢のような五分間であった。

 私はちっちゃな時から、吉永小百合さんを存じ上げていた。その頃、深夜に盛んに放送されていた一九六〇年代に小百合さんが出演した日活時代の「浅草の灯」や「愛と死を見つめて」「キューポラのある街」「あゝ、ひめゆりの塔」などを観た後は、テレビドラマ「夢千代日記」の再放送を観てすっかり虜になり、ファンレターというものも書いた。

 今思えば、私はやはりませた子供であった。

 当時の小百合さんは、そんな年若い自分の子供のような世代の私から、下手くそなイラストが届くなんてことは夢にも思わなかったのだろう。その下手くそな私の描いたイラストの色紙に、毛筆で丁寧なサインをして私に送って下さった。
 今考えると、私の下手くそなイラストと小百合さんの美しい文字が融合した、何とも奇妙で豪華な「合作」と言ったらいいのだろうか。私はそれを人に見せたことはないが、今も大切にしている。

 それから早幾年。その間、私は小百合さんの姿を間近で拝見することは一度もなかった。
 原爆の朗読会も盛んに行っている小百合さんであったから、その姿を実際に目にするチャンスは幾らでもあったのである。しかし、私の中ではやはり、映画スターというイメージが強かったから、間近で目にしてはいけない人というそんな思いが心の中にずっとあった。だが、あれから長い長い月日が経ち、小百合さんも、もうじき八十歳になろうとしている。

 あの小百合さんが、もうじき八十歳になろうとしているなんて、私は月日の経過がまるで嘘のように思えて仕方がなかった。なぜなら、小百合さんは生きながらにして時を止めてしまっているようにさえ思えるからである。

 こんなに時の流れを感じさせない女性は、どこを探しても中々いないのではないだろうか。しかし、今回、私は見てしまったのである。小百合さんは相変わらず美しかったが、その背中がほんの少しだけ丸くなり、うつむき加減で歩く姿を。
 確実に月日は流れている、そして少年だったあの頃の私も今や分別のつくいい大人になってしまったのだと、切なくなったのである。
 私の母は小百合さんのように美しく品のある人ではないけれど、なぜだかその少し丸くなった小百合さんの背中を見て、私は母に対する思いのようなものを小百合さんに抱いたのである。

 小百合さん自身が語っていたが、いつまでやれるか分からないが、人を幸せにできるような そんな映画に出演していきたいと。

 映画スターは年を取り、老けることを許されない。これはスターに選ばれたものの宿命でもある。それをいちばん感じているのは小百合さん自身であろう。
 少しだけ丸まりかけた背中を自身の魅力に変えられる日が来た時、きっと映画女優・吉永小百合はその宿命から逃れられるのではないだろうか。

 小百合さんがサイレント映画時代から活躍し、晩年、可愛いおばあちゃんになって「八月の鯨」という名作映画にセーラ役で九十三歳で「主演」したアメリカの映画女優、リリアン・ギッシュのような、たそがれを背負った女優になる日を、私は今から楽しみにしている。

2024年1月15日 書き下ろし



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