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珈琲の誘惑

 世の中、様々な黒い液体が存在するが、私の黒い液体との初めての出会いはコーヒーだったような気がする。小さな子供ならば、世間の相場としてはきっとココアだと思うが、私の両親は物心ついた時からティータイムにはコーヒーを欠かさなかった。
両親が二十代の頃にはコーヒーサイフォンがあり、アルコールランプで湯をフツフツ沸かしていたという。
 急な来客があっても、我が家には緑茶の茶葉がなかったから、客人には気の毒だったが有無も言わせず、ブラックコーヒーに角砂糖とスジャータを添えて、というのが常だった。

 そのうちに、ネスカフェや何かの瓶に入った粉末のコーヒーが登場してからは寝返ったようで、私がそのコーヒーサイフォンで淹れたコーヒーを飲んだことは結局のところ一度もなかった。

 子供がコーヒーを飲むとバカになるとは良く聴いたものだが、今の自分を振り返ると、強ち間違いではないような気がしている。

 私が子供の頃から飲んでいるコーヒーは、その間、缶コーヒーやペットボトル入りコーヒー、ひとつひとつ綺麗なビニール袋に入ったドリップコーヒー、微糖や加糖、カフェオレやカフェモカ等々、それは様々なコーヒーが登場し続けている。何もコーヒーサイフォンで淹れたコーヒーに執着する必要もないのである。こうしてこんな文を書いている間にも本格製法、本格旨み、苦さ本物、ありとあらゆる使い古した言葉を使って、また新商品が発売されているのである。そうは言っても、やはり缶コーヒーは缶コーヒーである。数あるメーカーには申し訳ないが、どれを飲んだところで大して味は変わらないのである。皆、申し合わせたように似た甘さ、似た苦さなのが本当に不思議である。どれを飲んでも個性がないのである。
 そんなコーヒーを外で飲むくらいなら、コーヒー以外のものを飲もうと私が手に取ったのが、子供の頃、殆ど飲むことのなかった黒い液体、ココアである。どうせ家に帰れば自分好みの濃さの、甘さのコーヒーを淹れて飲めるのである。何も無理して外で好みではないコーヒーを飲む必要もないのである。賤しさとはこのことかと思ったが、やはり、外でしか飲まない物、飲む気にならないものがあるのである。
 たまに飲むと、ココアも美味しく身体にも良さそうだと心の底から思うのだが、やはり家に帰ると決まって自分好みのコーヒーを淹れて飲むのである。
 冷蔵庫を開ければ他にも飲み物はあるのだが、どうしてもこの黒い液体、コーヒーに気持ちを引っ張られてしまうのである。カフェイン中毒とはよく言ったものだが、同じカフェインでも緑茶にはそれ程惹かれないのはなぜなのだろうか。
 そんなことを考えていては、まだまだコーヒーの誘惑からは解放されることはなさそうである。
 何より私はやはりコーヒーが好きなのである。毎度毎度、コーヒーの誘惑に惑わされてやろうではないか。そうは言っても一日二杯までと、酒ではあるまいしバカだなと思いつつもそう決めている。

 子供がコーヒーを飲むとバカになるというまことしやかな言い伝えを、大人になった今もどこかで信じている節があり、今更手遅れだと思いながらも、私はこれ以上バカにならないようにとこの上限をずっと守り続けている。

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