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「はじまりのパ・ド・ドゥ」のあとがきを書くなら

 そんなつもりはなかったが、結果として二〇二四年の集大成として書き上げたクリスマス小説「はじまりのパ・ド・ドゥ」

 今、改めて考えると、二〇二四年の集大成というよりも、今までの集大成と言っても良い一本になったような気もしている。あとがきというものがあるならば、これをあとがきにするべきかと、執筆から解放された今、あれこれエピソードを思い出しながら書いている。

 冒頭部分の季衣子や季衣子の家庭に関しての記述は、十月下旬に病院の待合室で書いていたが、それからその後、今も同時進行で書いている未完の小説「未来のあなたへ」の執筆に気を取られ、「はじまりのパ・ド・ドゥ」は、全くノープランでそのまま手つかずになっていた。とりあえず、どれかすぐに見つけられるように、クリスマス小説「はぐれトナカイ」という何とも頓珍漢な仮タイトルをつけておいた。とは言え、最初の方向性としてはこのタイトルがピッタリであったに相違ない。

 それから一月後、私は突然、「くるみ割り人形」が見たくなった。私が最も好きな日本人の男性バレエダンサーで現在、英国ロイヤルバレエ団のプリンシパルを務めている平野亮一さんが、同じく日本人バレエダンサー・高田茜さんと同時にプリンシパルに昇格したのが今から八年くらい前だったか。その時、二人が「くるみ割り人形」の「別れのパ・ド・ドゥ」を踊ることになり、NHKでドキュメンタリー番組が放送された。この時、私が初めて「くるみ割り人形」の「別れのパ・ド・ドゥ」をじっくり見た最初と言っても過言ではない。

 チャイコフスキーの「くるみ割り人形」の第十四曲「別れのパ・ド・ドゥ」が何とも感動的で、私は一気にこのシーンが好きになったのだった。それからずっと、いつか「くるみ割り人形」を見てみたいと思うようになった。そして今年、私の大好きなバレリーナ・森下洋子さんが所属・団長を務める「松山バレエ団」が「くるみ割り人形」を森下さん主演で上演することを知った私は、どうしても森下さんの「くるみ割り人形」が見たくて、チケットを購入したのだった。

 そそっかしい私は学生席しかないと思い、諦めてそのままチケットを買わずにいたのだが、よくよく見たら大人の一般席も学生席と同額の席があり、座席数ギリギリというところで何とかチケットを購入したという有様である。もし、これが気づくのが数日遅く、チケットを購入できていなかったら、私は森下さんの「くるみ割り人形」を見ることはできなかったかもしれないし、結果、この「はじまりのパ・ド・ドゥ」も書くことがなかったかもしれない。この小説は、そんな様々な偶然が重なって、最終的に流れ着き、形になったと言える作品である。

 この作品は、舞台感想エッセイ「バレリーナ・森下洋子に泣いた日」を書き上げ、掲載したのが十一日。それからこの小説の再執筆に本格的に取りかかったのは、それから間もなくのことである。クリスマスイブに掲載できる状態にまで書き上げたのが、前日の二十三日。ということは、またこの作品も一週間から十日以内で書き上げたということになる。我ながら呆れる始末である。

 ひょっとしたら、初めての長編小説になり得るかもしれない。自分の中でもそんな勢いのあった作品だったが、中編に近い短編という形で最終的には出来上がった。今まで書いてきた短編小説が中編小説にも届かないくらい、非常に短いものであったから、急に中編小説など書ける筈もなく、長編小説なんて尚のこと無理な話であった。

 私は今回発見したことがあった。それは短編小説を一ダース書き、今回も、結果的に短編小説で終わったが、原稿用紙に換算すると七〇枚近い枚数を書いたことになる。そう考えると、中編寄りの短編を書き続けていくうちに、そのうち中編を書けるようになり、さらにそれから長編寄りの中編を書けるようになれば、最後に行き着くところは長編小説ということになるのかもしれない。

 千里の道も一歩からとはよく言ったもので、急に一枚から一〇〇〇枚書けるというものではない。やはり、全てが経験なのかと痛感させられたような気もする。

 今回、この小説を書くにあたって、全ての登場人物の中に私自身を何かしらの形で投影した。今までの人生で経験したこと、見たこと聞いたこと、出会った人、その人のエピソード、家族構成、自らの人生で起こってほしいこと、そうでなかったこと、修正したいこと。その全てのことをである。

 最初から登場人物をしっかり作り上げて物語を進行したつもりはさらさらなく、この作品を書き上げた後、面白半分に登場人物の紹介文のようなものを作成した時に、自然とどんな人物かということが出来上がっている結果となった。例えば喫茶店のマスターである三樹常治(みきつねはる)のニックネームのエピソードなどは、十分ありそうな話であるし、季衣子と美那江の二十年ぶりの同居というのも必ずある話であるし、小学生時代の季衣子と久我山のいざこざの原因が、年上の美しいバレリーナ・神林ひろ美という、それも華やかな世界で夢を売るバレリーナという、普通ならまともに対峙する機会もない、別世界に住む女性へのおませな女の子の嫉妬というのも、実にありそうな話である。

 そんな誰の人生にも起こりそうな、あったようなそんなリアリティを持ったエピソードを鏤めたことによって、読み手はこれがフィクションであっても実話であるような、そんな錯覚を起こすに十分に足りる感情移入のできる物語となったように思う。

 この小説はバレリーナ・森下洋子さんの「くるみ割り人形」を見なかったら、決して書くことのできなかった作品だったと断言しても過言ではない。
 三十年に亘る壮大な物語となったこの小説だが、一歩間違えたら何を書いているのか自分でも分からなくなってしまうような、そんなまどろっこしいストーリー展開で、私の最も苦手とする手法である。ストーリーは現在から始まって、三十年前に逆戻りし、そしてまた、現代へ時を戻して翌年に舞台が移って物語が完結するなんて、そんなものを書くつもりもなかったし、今の私では書けるとも思っていなかった。まだまだ力が足りないと思っていた。だが、それは森下さんが人生を捧げて踊り続けて来たバレエというものが、この物語の展開を進めるにあたって、非常に重要な役割を果たしているし、それが物語の進行をスムーズにし、見事に成立させている。

 実生活でもそうだが、森下さんが「くるみ割り人形」を四十年前から踊っていなかったら、そしてそれを見た当時の子供が大人になった現在まで、森下さんがバレエを続けていなかったら、この物語の主人公である中川季衣子と久我山翔の奇跡とも言える再会は、決して実現することはなかった筈である。現実世界はどうだか知らないが、こういった人生を本当に送っている人がいるかもしれないし、森下さん自身がこういった奇跡を本当に起こしているかもしれないし、そんな奇跡を自分が踊り続けていることで起こしていることを森下さんは知らずに、現在も踊り続けているかもしれない。この作品を書いていてそんなことを思ったりした。

 事実は小説より奇なりとはよく言ったもので、ひょっとするとこの小説は、誰かの人生の中で起こった、本当の出来事の寄せ集めで出来上がった小説かもしれないと思ったりする。そんなことは私には知ったことではないが、この小説をずっと一途にバレエを続けてきた森下洋子さんと、私の小説を年に一度でもいいから読みたいと言ってくれる、そんな読者に捧げたいと思うのである。

 最後の最後で、作品のタイトルを何にしようかと迷いに迷った挙句、バレエにちなんだ作品であるから、バレエの用語から何かいいものはないかと思案した。
「パ・ド・ドゥ(仏・Pas de deux)」とは、バレエ用語で男女二人によって展開される踊りのことであり、最大の見せ場である。
 私が最も好きで胸を打たれた「くるみ割り人形」には「別れのパ・ド・ドゥ」が登場する。
 無事に再会を果たした季衣子と翔のそれは「再会のパ・ド・ドゥ」とでも言おうか。季衣子と翔が、バレエを踊れるわけではないが、これから二人で生きていくような、そんな含みを持ったラストシーンに相応しいタイトルとして「はじまりのパ・ド・ドゥ」とした。

 二人が、その人生でどんな「パ・ド・ドゥ」を踊っていくのか、私自身楽しみなのである。

2024年12月31日書き下ろし














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