懐かしい味
人生不思議なことがあるものだ。
僕の祖母は黒豆を炊くのが得意な人だった。
大晦日になると、離れて暮らす祖母の恒例行事である黒豆炊きが始まる。
倹しい暮らしの中でも、更に切り詰めるところを切り詰めて、見栄を張るのが祖母の流儀であり、心意気である。
この黒豆もご多分に漏れず、丹波の黒豆を毎年必ず使っていた。
関東の人間だが、祖母は訳あって関西風の味付けになるのだが「あなたは関東育ちなのに関西風が好きだなんて、妙な子ね」 と言われたこともあったが、僕はとにかくその祖母の炊く黒豆が何よりも大好きだった。
黒豆炊きが終わると、祖母はそれを厳重に瓶に詰めて送って来てくれた。
これも訳あって、よその家のように家族で集まるということはなかったが、その黒豆の瓶が届くとばあちゃんに会いに行こうと、僕は思ったのだった。
その祖母も今年で世を去って十年。
去年の内からそんなことが頭を過り、写真を見ては感慨に耽っていたのだが、そんなある日、缶詰の到来物があった。
その中に黒豆があったのだが、こういうものに疎い自分はただの水煮なのか炊いてあるのか、外装からは判断出来ず開けることなく仕舞って置いたのだが、それを大晦日に思い出して年が明けたら開けてみようと思っていたのだった。
そして、除夜の鐘が鳴り年が明け元日の朝、缶を開けたらピカピカと艶やかに光る黒豆がそこにはあった。
このまま食べられると安心して容器に開けると、早速スプーンで一匙掬って口の中に放り込んだ。
僕は思わず懐かしい気持ちになった。
いつか何処かで食べたような味なのだ。
豆自体は全くもって別のものだが、この甘さと蜜のようなコクのある味が喉を通る頃には思い出していた。
それは十年前に世を去った祖母が炊いてくれた、あの黒豆の味に似ていた。
僕は容器を左手に持ち、右手でスプーンを持ったまま立ち尽くして、ポツリと『ばあちゃん...』 と呟いた切り懐かしさで涙が溢れ、つまみ食いの状態のまま暫く立ち尽くしていた。
この十年の間に、何度か人が炊いた黒豆を食べたことはあったがどれも、祖母の黒豆には敵うものはなかった。
そして僕は、祖母の黒豆の味をずっと忘れたくないためにそれから一切、黒豆を食べることはなかった
祖母を思い出す食に関する思い出は他にもあるのだが、この黒豆の味は本当に不意打だったが胸が熱くなり、涙する程懐かしさの極みだった。
不思議な気持ちだが、こういうことが人生には何度か起こるのだろうか。人の生きている不思議と、そして今は亡き見えない祖母の存在を感じた。
そんなあたたかな新年の始まりだった。
2022年1月3日付・インスタグラム掲載文を復刻。