土産物
数年に一度だが、旅行をして来たからと土産をもらうことがある。
最近になってはもうそんな人もいなくなったが、土産をもらうには少々困るものを買って来る、ちょっと迷惑な人が昔はよくいたものである。
私が子供の頃だったと思うが、京都の土産だと言って金色に光り輝く金閣寺、それもご丁寧にガラスのケースに入った「ぜひ飾って下さい」と言わんばかりの、それは立派な土産を私に買って来た人がいた。
その人は、その当時でさえ大分ご高齢の方だったから、ちょっともらう側の私と感覚が違っていたのだろうか。受け取った私がそのガラスケースを両手で持って、そこに入っている金閣寺を眺めているのを見て、それはとても満足げな笑みを浮かべて嬉しそうに私を見つめていた。
私もその時、その人が買って来てくれた気持ちを考えて、いや、そんな気遣いの出来る子供だったか私自身何とも言えないが、とにかく私は少しの間は喜んでいたことは間違いない。
しばらくしてその客人は帰り、テーブルの上に置いたそのガラスケースを改めて眺めた私は、さてこれをどこに飾ろうかと悩み始めてしまった。
子供の私にとって、ケースがガラスだということも扱うには危なっかしくて、酷く厄介であった。何より、土産をもらったさっきまでの笑顔とは裏腹に、私の笑顔は曇り始めていた。
こういった金色に光り輝く寺や城や神社といった置物は、外国人は泣いて喜び、ハグやキスの嵐であろうが、日本に住んでいて新幹線に乗って数時間で実物を見に行こうと思えば見に行ける日本人である私としては、それは差程魅力的とは思えぬ代物であった。そうは言っても、最終的には好みの問題でもあるから何とも言えないのだが、少なくとも私には厄介でしかなかった。
今度その客人が家へ来るまで、この置物を壊してしまったらどうしようかと心の底から思ったり、見える所に飾っておかなければ気を悪くするのではないかと、子供ながらに遣わなくて良い気を遣わなくてはならず、私は少しばかり気が滅入ってしまったのを覚えている。
そんなことが子供自分にあったものだから、今は図々しいようだが事前に旅行することを告げられた時には、私は消え物を土産にリクエストすることにしている。
つい先日も友人と電話をしている時だった。
来年、大事な用事があり兵庫県へ出かけるという。 私はすかさず、
「お土産待ってます。 消え物でよろしく!」
そう言うと、
「お城の置物とかもらったって置き場所に困っちゃうものね」
私の気持ちが通じたのか、友人は吹き出して一緒に笑ってしまったのだった。
城や寺や神社なんて分不相応な物は、やはり家にはない方が良いのである。
2022年10月26日 ・ 書き下ろし。