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愛という言葉
恋をした時、まず人は一般的に『好き』という言葉を使う。
そしてその好きという感情が頂点に達した時、この『愛』という言葉を口にする。
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実のところ、私はこの『愛』という言葉が余り好きではない。
今までの人生において巡り合う人のすべてが『好き』止まりだったせいもあるのだろうが、『愛』という言葉を口にするのは何だか嘘っぱちのような偽善者のような、何処かしっくり来ないのだ。
ハリウッドの大女優、キャサリン・ヘップバーンは『愛とは自己犠牲である』と自叙伝に書いた。
それを読んでからは尚のこと『愛』という言葉は私の心に重くのしかかる。
口にするには面映ゆく、伝えるのには何だか気後れのする、私にとっては未だ使うには程遠い言葉。
それが『愛』という言葉なのである。