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【昭和のサラリーマン】 〜其の九〜 札幌支店時代 (昭和54年~59年)(1979年〜1984年) 役職:営業1課長 後編
個人的特記事項
家族のスキー旅行での出来事がある。
疲れて帰りの運転をしていたが、少し長い雪のないトンネルを抜けると、すぐカーブにさしかかった。
減速のためブレーキを踏んだ際、きつかったようで、ハンドルが動かなくなり、対向車線の除雪された雪の中に突っ込んでやっと停車した。
大型の対向車が来ており、ぎりぎりで接触を免れた。
後続車にも助けてもらい路上に戻してもらった。
自宅まで、あと1時間くらいの場所であったが、路面が氷の感じでスリップが怖くて、運転できなかった。
安全のため近くの温泉に泊まり翌日慎重な運転で何とか無事に帰宅した。
入社20周年の特別休暇が取れることになった。
「国内の温泉でも」と考えていたが、妻が
「ヨーロッパに行きたい」
とのことで、大事(おおごと)になった。
まず、子供3人を東京の親戚に預かってもらう。すべて妻が根回ししてくれた。
出発が近づいた時、急にキャンペーンが実施されることになった。
「皆に迷惑をかけては・・・」
と中止を検討したら、課のメンバーが
「自分たちの今後のこともあるので、実行してほしい。キャンペーンは自分たちで何とかするから、心配しないで行ってほしい」
との声があり、行くことに決めた。
出発当日、成田空港に集合し、いよいよ搭乗口へという際、
「近藤さんはこちらですよ」
と言われ他のメンバーとは、別行動となった。
予算の関係で、ガイドは現地に着いてからのコースだったのだ。妻が不安がったが腹を決めるしかない。
モンブランに行った際、個別に希望すればカメラマンがついてくれるということだったので、「記念に」ということで頼んだ。
頼んだのは我々だけだったので常にカメラが付き添い、ちょっと俳優気分だった。
最後に
「フイルムが余っているので、モンブランに向かって何か言ってください」
と言われた。
自分のは平凡でよく覚えていないが、妻は
「主人のおかげで、来れました。」
と言った。
しばらく、家族でビデオを観て妻の部分が笑いの種になった。
心配して職場に戻ったらキャンペーンは皆で100%達成してくれており感謝、感謝であった。
3年目に支店長が代わり、課のメンバーも一部変わった。
後で気が付いたが
新メンバーは、全血液型が揃った。
それまでは、作戦会議をしても斬新な案があと一つであったが、それからは、それなりの時間がかかると、誰かが、気が付かなかった新しい切り口を提案してくれるようになり、盛り上がるようになった。
全国トップ
積立型の保険に注力する流れになっていた。
当課の主力代理店は北海道Mというディーラーだった。
当社シェアー80%という大型代理店である。
ここが取り組んでくれるかどうかが大きな問題である。
各地でディーラーが取り組んだというニュースは入っていたが、自動車保険が主力の代理店なので、大きな結果は出ていなかった。
2年がかりで説得し取り組んでもらうことになった。
大きなポイントは目標達成した拠点には新車情報を用意する。
一度取り組んだら5年満期時には満期返戻金回収作戦を実施することにより、安定した保険料が得られるということであった。
当課の役割は約12の営業所が目標達成した際に、約束した新車情報を用意できる体制を取っておくことであった。
成績は各支社になるので支社独自に新車情報を提供するのが原則であるが、万が一用意できなかった場合は当課が用意いておくということである。
結果は同社の全営業所が目標達成した。1支社のみ新車情報が間に合わなかったので、当課の情報を本社に提供し約束を果たしたことになった。
営業成績は各営業所分は当社の担当支社となり、当課は自分たちの担当の3営業所分であった。
当社内では1ディーラーの営業成績としては桁外れの額となり全国トップとなった。
本社からは
「お金はいくら使った?」
という質問が多く
「一銭も使わず、新車情報のみです。」
との回答に驚かれた。
当時の次長が全道の各支社をめぐってバックアップして下さったことが有難かった。
自社ビル新築
5年目に自社ビルの建設が始まった。それまでは1フロアーを借りており、支店長席、他 総務、損害調査、海上、営業と5課が一緒に仕事をしていた。
当課は、車両販売協力依頼のため、朝礼で依頼することが多かったが、それからは3階を行ったり来たりする必要を求められた。
当時の人事異動サイクルは平均3年であったが、5年が終わり
「そろそろ転勤か?」
と思っていたところ
「1フロアーでの、一体感を維持していくためもう1年」
と言われ6年目の勤務に入った。
6年目が終わりに近づいてきた時に当時の次長に
「東京ならどこでもいいか?」
と聞かれたので、
「いいです」
と答えた。
でた内示は、本社の自動車営業部 第1課長であった。
〜続〜
著:近藤正輝 写真:近藤大介
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