【昭和のサラリーマン】 〜其の七〜 小山支社時代 (昭和50年~53年)(1975年〜1978年) 後編
運送会社の得意先が名古屋で、ヤクザの外車と接触したと、難癖をつけられ小山までついてこられる事件があった。
ほんの軽い傷なので、通常は修理代の賠償で済むはずであるが、あれこれ理由をつけ、
「新車に取り替えろ」
との難題である。
「解決するまで、小山に滞在する」
とのこと。
「昼は、女性の方だけなんですね」等の発言で暗に脅しである。
金額は忘れたが、支店とも打ち合わせしながら、多めの金額で話がついた。
示談書に捺印の際、大きなカバンから、何種類もの印鑑があることから、専門のインテリヤクザということがわかった。
いずれにせよ、約1週間仕事ができなかった環境は解決した。
女子社員が安心して働ける環境に戻りホットすると同時に、理不尽な行為に怒りを感じた。
転勤後、その後、犯人が捕まったとの連絡があった。
昭和53年10月22日の早朝4時ころ妻の陣痛が急に始まった。
事故らないよう気を付けて、病院に運び込んだ。
「急いでください!!」
と妻。
「旦那さんはここで待っててください」
と看護師さん。
10分位であったと思うが竹笛のような大声が聞こえて。
「元気な男の子さんですよ」
と看護師さん。
大介の誕生である。
妻を見舞って、すぐ帰宅した。 長男の運動会の日でもあった。
長女と2人で心細そうに待っていた。
急いでおにぎりを作り新聞紙にくるんで向かった。
昼食時、隣家のIさんと一緒したのであるが立派なお弁当をうらやましそうに見ていた二人の目がかわいそうであった。
Iさんの奥様が
「二人もどうぞ」
と声をかけて下さり助けられた。
4年間お隣でのお付き合いであったが、いい方に恵まれ、幸いであった。
その後、亡くなられたとのうわさを聞き、心より冥福を祈った。
台風の影響で、通勤時に渡っていく「思川」にかかっている橋が水没した。
遠回りをせざるをえず、いつもの倍の時間をかけて通勤した。
社宅は堤防の下であったが、被害はなく、助かった。
関連会社の男性が駐在していた。
支社のメンバーと同じに、仲間として付き合っていた。
ところが、新入の女性社員と駆け落ちをする事件がおこった。
女性の両親が結婚に反対ということが原因であったとのことであるが、仲間として付き合っていただけに、何の相談もない行動に裏切られたようで残念であった。
解決できないうちに札幌転勤の内示が出た。
その後、二人の結婚が許されたとの連絡があった。
〜続〜
著:近藤正輝 写真:近藤大介
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