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【昭和のサラリーマン】 〜其の六〜 小山支社時代 (昭和50年~53年)(1975年〜1978年) 前編


赴任時は、「営業所」だったが、しばらくして全国的に「支社」に名称変更となった。

「支社長」

いよいよ、管理職である。

最初の支社長会議で、当時の支店長が

「おい今度、小山に免許も持ってない、ど素人が来たのでよろしく」

とメンバーに紹介した。

周りは先輩支社長ばかりである。

まず、免許を取ることから始まった。

始業前に教習所通いである。

仮免取得のため半日休暇を取って向かったが、一時停止時に左右確認が不十分ということで、合格できなかった。

支社の女子社員は地元出身なので、運転はすでにベテランである。
出勤して報告する際、恥ずかしい思いをした。

取得後は慎重に運転し、得意先、代理店を訪ねたが、方向音痴気味なので迷うことが多かったが、畑の中に「筑波山」が目立ち助けられた。

数か月後に社内検査が入った。赤スリップの多さと、経理残高不一致があり、再検査を受けることになった。

赤スリップはそれまでの体験で、あること自体も知らなかったので、不本意であった。

あるから使うので、破棄してしまった。

入金が確定した契約のみ計上していれば不要なものであった。

経理面は新しく転勤してきた女性が口数は少ないが、しっかりした女性だったので、彼女に担当してもらった。

2回「残高が合わないのですが・・・」

と飛んできたが、いずれも1円だった。

数か月後に確認検査が来た。

両テーマとも100%改善ということで、高評価を受けた。

個人的な買い物としてマイカーと、ゴルフの会員権であった。

中古のサニーは担当の大型整備工場から購入した。

会員権は本社の得意先が造った「二宮cc」だった。

小山市内から1時間くらいの所であったが、一番近い支社長ということで、販売協力せざるを得なかった。

スケールの大きな設計で挑戦しがいのあるコースであった。

ハンディ16まで取れたが、その後倒産し会員権は「紙屑」になってしまった。



〜続〜
著:近藤正輝 写真:近藤大介

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