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【昭和のサラリーマン】 〜其の八〜 札幌支店時代 (昭和54年~59年)(1979年〜1984年) 役職:営業1課長 前編
赴任
妻の実家に挨拶に行った。
お母さんに
「もう一生会えなくなるかも」
と寂しがられた言葉に
「申し訳ありません」
と心の中で詫びた。
羽田空港から向かったが、1歳にならない大介が出発と同時に泣き出した。
結局、札幌まで、最後尾で彼を抱いて立って行った。
支店に着いたら応接室で家族と一緒に支店のメンバーに挨拶し、自分はすぐ、引継ぎ挨拶に行った。
家族は独身寮に連れていかれた。
夕食は家族全員が独身寮の世話になったのではなかったか?
社宅は、新築の6世帯のアパートだった。
即、仕事が待っていたので、引っ越しの手伝いは一切できなかった。
3人の子供を抱え妻がよく一人で頑張ってくれた。
仕事
札幌支店は支店の2課と、支社10支社の計12課支社で構成されていた。
最初の1年は、毎月予算未達で、支店の赤字の50%位が自分の課であった感じである。
締切日は当課の締めが最後になり、しかも結果が悪いので、支店長席に報告に行くと、約1時間位、文句を言われた。
何回か続くうちに終わるまで課のメンバーが待っているのは可哀想だと思い、
「皆とは語り合いたいので必ず後で行くので、どこかで飲んで待っていてほしい」
ということにした。
報告に行く場を「被告席」と冗談で名付けた。
皆と合流後は、まず、来月から必ず行動するテーマを決め、あとは、カラオケで歌いまくった。
活力が出てくるのに1年位かかっただろうか?
最初の頃は、席について仕事のことを考えると胃が痛くなる状態だった。
外出の際、心の中で歌って気分転換をはかった。
S社と協力しての積立型保険のキャンペーンが企画された。
全国の同社の支店と当社の課支社がコンビを組んで取り組むことになった。
当課は同社札幌支店がパートナーである。
早速、作戦会議を実施した。
同支店は○仏(マルブツ)作戦をとることになった。
ご不幸のあったお宅にお焼香のため訪問し、今後の資産管理の相談に乗り、一つの案として積立型保険を案内するという作戦である。
当課は相手に合った保険内容を用意し説明方法をアドバイスするという役割である。
毎日往訪し相談に乗った。
同社の支店長以下のメンバーと、当課のメンバーの相性がよく、盛り上がり、結果は全国トップの成果となった。
同社内で札幌支店がトップということは当社内でも、当課がトップということになり、一緒に祝杯を挙げた。
時間外
社内の野球大会が実施されることになった。
東北の各支店と札幌支店の恒例の対抗戦である。
今までは1回戦敗退が多かったとのことだった。
どうせやるなら優勝を目指そうと提案し、練習をすることした。
各課より野球体験者を集め週末に練習することにした。
自分は小学校以来の体験しかないので、一塁を担当した。
体験者の球は早かったが絶対捕球するという気持ちで必死だった。
珍しいということで、支店の女性も応援に来てくれて盛り上がった。
試合では、ランニングホームランを打ったことが記憶に残っている。
結果は、初めて優勝ということで、応援の女性群が涙を流して喜んでくれたことが印象に残っている。
それまでは、「負けて当たり前」というムードだったのだ。
大通公園で例年実施される「雪まつり」があった。
当社としても何か作品を展示しようと提案した。
時間外に各課より有志が参加して作成したが、損害調査担当課に自衛隊OBの方々が顧問としておられ、隊で体験があるということで、リーダーとして活躍してくださった。
支店のムードアップに活かされた。
市内にスキー場があったことから、時間外に有志で行った。
道産子が多かったので技術指導は彼等である。
スキー場では上司といえども、彼等が先生である。
諸企画に当課の若手が活躍してくれ、支店内での当課の存在感が増していった。
並行して「被告席」に行く回数も減っていった。
〜続〜
著:近藤正輝 写真:近藤大介
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