見出し画像

【昭和のサラリーマン】 〜其の五〜 大森営業所時代(昭和46年~49年)(1971年~1974年)

1年目

S所長以下、男性3名、女性2名の体制で歴史の古い事務所であった。

主たる契約者は、I社・M社・N部品社の工場物件と、金属加工の中小企業が多かった。代理店さんは、場所柄、海苔屋さんが本業という先が多かった。

事務所は大森駅南口近くの三角州にある3階建建物で、以前は3階が社宅だったとのこと。

M社の役員と、代理店さんからのお誘いで、週1回程度の麻雀が印象に残っている。

来所してくださる代理店さんとは、可能な限り喫茶店で語り合うことにした。

12月に長女が誕生。事務所の皆が祝ってくれ、人並みに大人になった気がした。

前日から入院していたので出社するつもりで妻の実家前を歩いていたらお母さんに「あら、近藤さん会社に行くの?」と驚かれ、休暇を取った。


2年目

主任になり、月1回の代理店会の運営を任されるようになった。
終了後、飲み会があったが、まだアルコールが苦手だったので、途中で寝てしまい、女性代理店さんからも冷やかされた。

記憶に残っているのは、ストの時、自転車で2時間くらいかけて出社した。
疲れて仕事にならなかったが、根性養う狙いは達した。

終業後所長と軽く飲んで自宅に向かったが北に向かっては緩くはあるが登り坂なのできつかった。

途中でトイレの後、チャックが壊れて閉まらなくなったため気を使いながらの運転だったのでなおさらだった。

長男の誕生は、出社した後だった。
予定日前であったが、薬王寺が火事にあったというニュースが入ったショックで妻の陣痛が始まり、お兄さんが病院まで連れて行ってくださったとのことだった。


3年目・4年目

所長がYさんに変わった。大柄の方でお酒がお好きだった。

「近ちゃんマイペースでいいから毎日、一杯付き合てくれ」

とのことで付き合いが始まった。

そこそこ、アルコールが回ると、お互いに普段職場では言えないことも語り合えるようになった。

「アルコールは潤滑油としていいものだ」

ということを教えていただいた。

同じ仕事をしても、資格によって収入が増えるので、女性代理店さんを中心に受験を提案した。

個人的な依頼も協力するということでスタートしたら、お互いの刺激もあり全員が合格した。

K代理店さんと、最高の資格の再挑戦のため2階会議室で講習をしていた際に、小山営業所への内示があった。



〜続〜
著:近藤正輝 写真:近藤大介

ありがとうございます!