【私見】「チバニアン」どうして盛り上がりに欠ける?
新しい地質時代の区分として騒がれている「チバニアン」の地質はどんなものなのだろう。実際に見てみようと思い立ち、2月上旬に房総半島の現場を訪ねた。
観光向けには未整備
JR東京駅から五井駅へ向かい、そこからさらにローカル線の小湊鉄道線に揺られることあわせて約2時間、最寄りの月崎駅に到着。マスコミで大々的に取り上げられていた分、「世界が認めた地層、チバニアンはこちら!」といったのぼり旗がたなびいているかと思いきや、降りたった駅前にあるのは木造のトイレくらい。案内看板にも「地球磁場逆転層」とさらっと書かれているだけでちょっと拍子抜けする。観光向けの整備はこれからのようだ。
(最寄りの月崎駅はトイレ以外に特に何もありません)
(駅前の看板も「地球磁場逆転地層」とさらっと書かれてあるだけです)
田畑や丘が並ぶ里山風景の中を30分ほど歩くと川沿いの現場に着いた。現場はそばを流れる養老川に削り取られた崖のようになっていて、黒っぽい壁面が見える場所だ。試料を採取した後の丸い穴が点々とあったり、赤黄緑の目印が並んでいたりと、何かを調査していることが一目で分かる。ただ説明する看板はなく、私のような一般の人間の目からは、ただの崖にしか見えず、どこかどうそんなに珍しい場所なのか、正直ほとんど何もわからなかった。一般向けの整備はこれからのようだ。
(地層が見られるのはこの養老川沿いの場所です)
ただ現場から5分くらいのところにプレハブ作りの案内場があり、解説する展示資料を見ながらガイド役の方に色々と話を聞けた。ガイドの説明や本での資料によると、ここが「千葉時代」を意味するチバニアンとして国際地質科学連合が認定したポイントは大きく2つあるようだ。
火山灰の層はわかりやすい
1つはこの場所が、地質時代のうちで名前がつけられていなかった12〜78万年前の地層だということが明確に分かる跡が残されているためだ。それは、77万年前にできた白っぽい火山灰の層だ。現在の長野と岐阜の県境にある御嶽山が噴火して飛散した灰が当時海底だったこの場所に降り積もってできた。上下の地層を分けるその層だけは素人目にもはっきりと分かる(写真の青い四角で囲った境目)。
(青い四角内の線状の境目が77万年前に噴火した火山灰が重なった地層)
白尾火山灰層と名付けられたこの層が手がかりとなり、この場所が同時代にできた地層だということが証明付けられた。その上で、この時代には地球の磁場が逆転していたことが分かっており、この地層を分析しても同じデータが検出されたという。地球の磁場の変化というのは未だよくわかっていないことも多いそうだが、N極とS極が逆転する間は不安定な時期があるそうだ。この場所の赤い印がついている層が逆転層で、一番上の緑の印が現在と同じ北がN極、南がS極となっている地層。間にある黄色が逆転から今に至るまでの不安定だった時代の地層だということだ。
ポイントの2つ目はこの逆転層が一定以上の大きな規模でわかる地形になっているという点があるそうだ。確かにここは大きな壁状になっていて見やすい。名称のライバルとなっていたイタリアの南部の地層は丘が連なる場所になっており、専門家の目から見ると保存状態が良好とは言えなかったようだ。
地層区分はチバニアンを含む「世」という細かい分類だと、20くらいある。そのほとんどが欧州に集中している。日本では初めて国際的に認められた場所だ。それは、日本の成り立ちを考えれば納得がいく。
日本列島は現在の中国がある大陸の最東端が、2000万年前に切り離されてできた島国だからだ。でき方から見れば、ユーラシア大陸の切れ端とも言える。海底の隆起なども経て大まかに現在の形になったのが1000万年前くらい。チバニアンを含む今の関東が海面から姿を現したのはようやく2万年ほど前だ。46億年とされる地球史の中では生まれたばかりとも言える列島のため、古い地層は一部の例外を除いてほとんど残っていない。その一方で、専門家の人によれば「極めて高速な隆起」があったからからこそ、ここが世界的にも特徴的な地層として認められたようだ。
私は普段あまり日の目を浴びない地質の科学調査を何十年にもわたって積み重ねてきた科学者の人たちに尊い気持ちを覚える。イタリアの学術団とも交流を重ねた写真も置かれてあった。国を超え、地球上の不思議を解き明かすために協力する営みを敬服する。
地学受験生は化学の100分の1以下
私自身は、チバニアンでも感じられるような壮大な地球史を知ることが好きだ。日本列島の事を知れば知るほど、そのでき方の奇怪さに驚くし、不思議だと思う。世界的に見てもその特異さは際立っているのではないかと思う。
ただ私たちが普段クラス日本列島がどうできたのかを学ぶ機会はどれほどあるのだろうか。高校教育でいえば、地学が最も直接的な科目だ。ただ地学を専攻する学生は極めて少ない。参考として2019年度のセンター試験の受験者数を調べてみると、理系科目では化学>物理>生物>>地学だ。化学の100分の1にも及ばない。試験に通るためなど色々理由はあるのだろうが、もっと地学教育を身近なものにできないものだろうか。チバニアンへの関心が今ひとつなのも、この辺りに理由があるのではないかと感じる。
私が通った北九州の高校は科学教育を重点を置く「スーパーサイエンスハイスクール」に指定されていた。それでも地学は選ぶ科目になかった。私は山の麓の小中学校に通ったこともあり、中学の頃から地理分野に興味があった。もし選べていれば迷わず選択していただろう。
私自身の話になるが、進学校にスポーツ枠で運良く入れた私は高校1年生の時にクラスの最底辺の成績だった。何か一科目でも強みを持ちたいと思い、2年生から選べる地理が面白そうだと思い、1年の頃から勝手に学び始めた。山や川、沿岸など地形のでき方にとても興味を持った。
また特に鮮烈だったのが、世界がもともとは「ゴンドワナランド」という一つの大陸だったという話だ。その大陸がプレートと呼ばれるものに乗っかって動いて、現在のアフリカやアジア、南北アメリカ、オーストラリアといった6つに分かれたのだという。その想像することさえ難しいあまりに壮大な物語に、圧倒的な興味を持った。地理だけは誰にも負けずに学ぼうと思った。テレビ番組では「世界ふしぎ発見」が大好きで、毎週欠かさず見て、問題と答えと正解者を欠かさずメモを取り続けた。美しい世界の風景とともに、案内役の「ミステリーハンター」のきれいなお姉さんを見るもの好きだった。3か月に1回くらいしか出ないレアなお姉さんが大好きになり、ファンレターを送ったこともある(返事は来なかったが・・)。そうした努力(?)の甲斐もあり、他の科目はさておき地理だけは九州随一の進学校でトップクラスでい続けたのは私のちょっとした自慢だ(最高位は2番だったが・・)。
大学でも地理を一番に学びたいと思ったが、残念ながら志望していた学科には受からなかった。大学自体は行きたいところだったので、浪人をするのも嫌だと思い進学したが、関心のない学部だったので勉強に熱中することができなかった。その悔しさがあったからこそ社会人となり、自然分野のことを学び直したいと思い気象予報士を目指した。7回落ちたが、諦めなかったのは学生時代の悔しさを少しでも晴らしたいと思ったからだ。
地理や地学の重要性は高まる?
予報士になった今でも、私はもっともっと地球のことを知りたいと思っている。その大きな理由の1つは、仕事で環境分野の担当になり、地球温暖化や自然災害などを取材をしているためだ。例えば気候変動などの問題では、世界の気候を植生をもとに示したケッペンの気候区分などが考える上で参考になる。気候だけでなく、最近の話題に上がる海洋プラスチック汚染でも海流の流れを知っていればゴミが溜まりやすい場所などはある程度推測がつく。環境問題を考える上で、地理の知識は欠かせないのではないかと思う。
話が本題からずれてしまったが、日本列島は世界の中でも極めて特異な形成過程を持っている。それを学ばないのは、惜しいことだと思う。日本人は自国に愛着が少なく、その原因は歴史教育にあると時に耳にするが、自分の国に親しみを持つためには私たちが暮らす地域がどうできたのかという地理や地学に通じることも役立つのではなのだろうか。豪雨や洪水といった自然災害が今後増えることが懸念され、防災への関心が高まっているということを考えても、地理や地学の知識は今後より重要を増すのではないかと思う。高校で地理が2022年から必修になる流れは、こうしたことも背景にあるのだろうか。日本らしい地理や地学教育を進めてほしいと思う。
(地層そばの養老川は透明度の高い清流で夏には清涼スポットにもなりそうです)
取材日:2020年2月2日