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こじれた話は座らない #009 《憧れの銀幕スタア》

世の中には一神教と多神教が存在する。

代表的な一神教はユダヤ教、キリスト教、そしてイスラム教で、どの宗教でも唯一の神を信じる。

多神教で有名なのはインドのヒンドゥー教で、色々な多数の神を崇拝する。

もし自分の信じる宗教は何か?と尋ねられても、既存の名の知れた宗教を信じているわけではないので、答えられないと返すほか方法はないだろう。

では何を信じて生活しているのか?と問われたら、自分は「日々の生活の行動規範となる考え」みたいなものが宗教だと思っているので、かなり大まかだが「仏教と神道に影響を受け、それらの考えや教えに基づいた行動規範にある程度影響されている」とでも答える以外にない。

つまり簡単に言えば、ライフスタイルのベースになっている考えが宗教だと思う。

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アタマからこじれた話になってしまったが、この記事の本題である憧れのスターに関しては終始一貫して自分は一神教的な姿勢を保っている。

自分の唯一にして無二の憧れのスターはナタリー・ウッド。

中学二年生の時にミュージカル映画『ウエスト・サイド物語』を観て以来、変わることのない憧憬をナタリー・ウッドに対してのみ抱き続けている。

ニキビ面の中学生にとって、映画館の大きなスクリーンに映し出されたナタリー・ウッドはあまりにも眩しく、美しすぎたのだろう。

他の美しい女優さんたちには失礼かもしれないが、自分にとってナタリー・ウッド以外は十把一絡(じっぱひとからげ)。美形であればどんな女優でも崇拝するほどの多神教的な大らかさを自分は持ち合わせていない。しかしナタリー・ウッドに対する憧憬の"純度"と"硬度"だけはかなりのものだと自負している。

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高校生になってから観た『卒業』『明日に向かって撃て!』のキャサリン・ロス、『男と女』のアヌーク・エーメにも少し心を惹かれたが、二人ともナタリー・ウッドには及ばない。

その後も沢山の名女優が現れ、彼女たちの演技の上手さに関心することはあっても、ナタリー・ウッドがもたらしたインパクトを超えるものはなかった。

自分にとってナタリー・ウッドは初恋の人みたいなものだから、他の女優が彼女を超える存在になることは、これからも多分ないだろう。

余談になるが『キャサリンロス』というアパレルブランドがある。思うに多分オーナーがキャサリン・ロスのファンなのだろう。他人に彼女の名前を使われるのなら、自分で使う。その気持ち、なんとなく判る気がする。

もしキャサリン・ロスのファンでなければ、ごめんなさい。

また『セシルマクビー』というアパレルブランドもあるが、このブランドのオーナーはジャズ・ファンで、チャールズ・ロイドやキース・ジャレットとプレイしたベーシスト、セシル・マクビーのファンなのかもしれない。しかし渋いミュージシャンを選ぶねぇ〜...

もしセシル・マクビーのファンでなければ、ごめんなさい。

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『ナタリーウッド』というアパレルブランドが未だに存在しないのは、自分にとって有り難くも実に喜ばしいことだ。

誰であれ、勝手に我が憧れのナタリー・ウッドの名前を使ってもらいたくない。いや、絶対に使ってはいけないと言っておこう。

だからもし妙な出で立ちや破廉恥な芸やトークで笑いを取ろうとする"ナタリー〇〇"みたいな芸名の女芸人が万一現れたら、自分は絶対に彼女を許さないだろう。

許さないといっても、何らアクションを起こすことが出来ないのは実に残念だ。

いくらナタリー・ウッドの名を勝手に使ったといっても、ライブ会場に赴いて腐った生タマゴを投げつけるのは許される行為ではないし、SNSで誹謗中傷するわけにもいかない。せいぜいその女芸人が所属する事務所にクレームメールを送り付けるぐらいが関の山だ。

今の自分に出来ることは、"ナタリー"を芸名の一部に使う不埒な女芸人が現れないことを、とにかく切に祈ることのみ。

芸人を目指す世の中の女性たち全員に乞う。絶対に"ナタリー"という名を使わないでくれたまえ!

しかしこの耐え難い無力感、どうにかならんかね... トランプ君のMAGAMake America Great Again)みたいに"ナタリー"を商標登録出来んもんだろうか?

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あほらし屋の鐘よ、この切なる思いを世間に届けてくれ。

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おまけの一曲は我が麗しのナタリー・ウッドが主演する映画『ウエスト・サイド物語』のサウンド・トラックから。

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