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ジェンダーという言葉自体に違和感を感じていた理由

ジェンダー自体違和感

ここ数年になってLGBTについて開放的になってきている風潮だけど、そもそも私には、ジェンダーバイアスというものがほとんどない。なぜそれがないのか?と過去を振り返ってみるとなんとなくその理由がわかってきた。

高校生時代

幼少期から絵を描くことが好きで、特にアルフォンス・ミュシャのような曲線の美しい絵画が好きでした。今だから言えるのだけど、美しいものが好きでした。それは、性別問わず。ただし、恋愛対象は女性だけでした。

↑アルフォンス・ミュシャ作 黄道十二宮

当時のファッションもパンクだったりタイトなファッションが好きで今では想像もできないような服を週末に着ていました。自分のビジュアルとは近しくもない何かに憧れてファッションを楽しんでいました。

だからジェンダーバイアスがないのか?と言ってもそれの答えではない笑

美容専門学校時代

高校を卒業後、美容専門学校に入学し、クラスで出席番号も近く一番に仲良くなったのが、ゲイのKで彼は、何一つ隠さずゲイを体現していました。見るからにファッションもユニセックスでしかもそれが似合っていました。

彼には、長く付き合うボーイフレンドがいて、そのボーイフレンドとも何度かあったりしていました。2年生になり就職活動を行う中で、お互いに意識が高くて(多分、周りから見たらウザイレベルの高さだったと思う)二人とも美容師カリスマブームに乗っかって表参道周辺の有名ヘアーサロンに就職が決まった。

その頃、ちょうど彼女ができて一緒に上京することになったのだけど、普通の流れでKを含めたルームシェアをすることになった。普通の流れすぎてきっかけも覚えていない。

LGBTがとてもファッショナブルに映り憧れだった美容師時代

もうお互いとにかく忙しくて、夜中にたまに帰宅時間が被る時に会話するような状況だったけど、休日が被るといつも別のボーイフレンドを連れてきていて、コミュニケーション能力半端ないなといつも感心していた。

私の勤務するヘアーサロンにも当然のようにゲイの先輩がいて、キャラクターも面白くてとても人気で雑誌にもよく出ていた。自分の中では当たり前に、ゲイであることはむしろファッショナブルであり、能力であり、憧れさえ覚えていた。

ごくたまに一緒にクラブに行く際も、LGBTの仲間を紹介されたりして、とても楽しいし好奇心も高まった。ゲイバーにも何度か行ったことあるけど、ほんとプロフェッショナルだし、楽しい記憶がある。

そんな生活を送っていたので偏見というものが初めからなくて、むしろ好意をもった記憶しかなく近年、LGBTに対してあからさまに好意的且つ、それを広告かのように謳っていることが違和感でしかなかった。「ノン気」とからかわれることはよくあったけど笑

おそらく振り返ってみて幸運だと思うのが、幸せな人生を送れている人たちとコミュニケーションをとっていたから特に違和感がないのだけど、幸せな人生を送れていない人たちと接していたのならば、もっと課題を感じていたのだろうと今思う。

特に自分自身がその状況にないため、とても他人事となってしまうのだろうと。

育ってきた環境の中で、一切偏見の情報がなければ、むしろ社会的に偏見すら生まれないのだと思うし、彼らは、性差別だけではなく人種差別もしないと思う。

例えばの話、ジェンダーギャップに悩む人たちが私の働く企業に就職したとして、私は普通に接するし、そのことを隠さなくても良い環境提供は率先するけど過度な応援はしない。だって過度な応援や過度な配慮こそが差別だと思うし。ただし、制度が障壁となる場合は、その障壁を取り払う行動は行うとは思う。

区別をつけないことが一番の配慮

結局のところ、昔から戦争が起こるように、自分たちとは別の種族に対して攻撃的になる歴史があったけど、本当の意味でジェンダーもそうだし、多様性という言葉を押し出すことが差別とも感じる。「多様性が必要だ!」というよりも多様性が自然である。ということを流行りとかではなくて行動を持って示していきたいと改めて感じた。

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