芸人『松鶴家千とせ』死去!シュールお笑いスター誕生で日本が激震もシュール過ぎて理解されず消える
日本初のシュール芸人
松鶴家千とせ
が
死んだ。
1938年生まれの松鶴家千とせ。
舞台出演やテレビ出演の時は
アフロヘアのかつら
サングラス
付け髭
で若若しく見えるが、
かつらをとりサングラスをはずした姿はじいさんそのものだった。
松鶴家千とせ
の代名詞、
ジャズィな音楽に「シャバダバ」とスキャット
夕焼け小焼けで日が暮れて
俺が夕焼けだったころ
弟は小焼けだった
親父は胸やけで
おふくろは霜焼けだった
わっかるかなー
わっかんねーだろうなー
という看板シュールギャグは
はあまりにもシュールで
70年代の日本に衝撃を与えた。
あまりにもシュール過ぎて、すぐに飽きられた。
日本お笑い史に燦然と輝く
松鶴家千とせ
だが
シュール芸が評価されたわけではなく
昔ながらの古い演芸が主流だった時代に
アフロ髭サングラスジャズ漫談
が日本国民に衝撃を与えたことだけの評価となっている。
松鶴家千とせ
は
村上ショージ
をかわいがっていた。
松鶴家千とせは村上ショージに
二代目松鶴家千とせを名乗っていい
と言っていた。
村上ショージも
夕焼け小焼けで日が暮れて
親父が夕焼けだったころ
お袋は小焼けだった
弟は胸やけで
そして
おいらはスカタンボーイよ
わっかるかなー
わっかんねーだろうなー
というシュールギャグを創作し期待に応えた。
松鶴家千とせ
は
生活保護
という噂は
デマ
で
松鶴家千とせ
は
足立区にそこそこ大きい邸宅を建てた。
だが、そこそこ大きい松鶴家千とせ邸の
家の中はゴミが捨てられてなかったりちらかっていた。
松鶴家千とせ邸の
表札には
小谷津松鶴家千とせ
と
本名だけでなく
芸名も表記してあった。
松鶴家千とせ
は
ビートたけし
が
自分の弟子
と主張していたが
松鶴家千とせ
と
ビートたけし
の関係の真相は不明である。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?