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『絶対大丈夫!』〜接戦を勝ち抜いた魔法の言葉

2021年もあっという間大晦日ですね。
いろんな出来事がありましたが、元野球部として、ビジネスマンとして学びが多かったことを最後に扱いたいなと思います。

『 ヤクルトスワローズファンのみなさん!
優勝おめでとうございます!!』

シーズン優勝は5年ぶり、日本一は20年ぶり。

2001年@横浜スタジアム
高津投手が胴上げ投手になった直後の若松監督。
優勝監督インタビューとしては、ちょっと不思議なスピーチは、

2005年の真中監督、今年の高津監督。
当時現役だった二人の脈々と受け継がれて、ヤクルトイズムなっているのを改めて感じました。

2年連続最下位からの優勝。

2018年にメジャーリーグから復帰した大ベテラン青木 宣親選手
トリプルスリーを3度達成、山田哲人選手の活躍はもちろんですが、

今シーズン、ホーム王を初めて獲得した村上 宗隆選手(プロ4年目21歳)
日本シリーズでプロ初完投初完封、高橋奎二投手(プロ4年目24歳)
クライマックスシリーズでプロ初完投初完封、奥川 恭伸(プロ2年目20歳)
などなど、若手選手も大躍進したのが大きな要因となりました。

『絶対大丈夫!』
高津監督の代名詞になったこのフレーズ。
そのルーツを感じた本を紹介します。

二軍監督の仕事~育てるためなら負けてもいい~ (光文社新書)

今年のセ・リーグの最終結果。
1位:ヤクルト 73勝 52敗 18分 勝率.584
2位:阪神   77勝 56敗 10分 勝率.579 ゲーム差 0.0

「たら」「れば」は禁句の世界とは言え、
ヤクルトが1試合でも多く負けてたら、もう1点取られてたら?
阪神が1試合も多く勝っていたら、もう1点取っていたら?

絶対に負けられない試合が続くシーズンを勝ち抜いた選手たちを育てた原因を僕なりに考察してみようと思います。

1:将来像から逆算した経験を一定期間続けること。

今や不動の四番として活躍している村上 宗隆選手。
プロ3年目の昨季は、全120試合で4番に座り、史上最年少で最高出塁率のタイトルを獲得。4年目の今季は、初のホームラン王を獲得しました。

そんな彼は、四番になるべくしてなっていることがわかります。

一軍に上がった時にその選手がどんな役割を果たすのか。
それを想像しながら打順を組む場合があるのだ。
2018年のシーズンでいえば、村上は四番で固定だった。
どんなことがあっても動かすことはない。
〜中略〜
村上は、プロ一年目のシーズン、ファーム(二軍)で実力を発揮したが、万が一打てなかったのしてもずっと四番に据えていた。
それくらいの逸材だった。

二軍監督の仕事 第一章「育てるー育成にはプランが大切だと改めて知った」より

育成には1-2年はかけること。
3-4年目で一軍定着するように二軍で機会を与えること。
成績に関係なく、将来望まれる役割に固定して使い続けること。

ファンの目線からすると、超高校級の選手が入団したらついつい1年目からの一軍昇格を望んでしまったり、選手としても下位打線でもいいから一軍に上りたい、試合に出たい!という部分があってもおかしくないように思うのですが、育成に時間をかけることを意図していることがわかります。

僕が若い選手たちに大切にしてほしいと思うことは、とことん野球をやったかやらないか、努力したかしないかということだけだ。
若い時はそれでいい。そうした姿勢が運を呼び込む。
〜中略〜
野球の場合、相手もあることなので、こちらが最高の準備をしたとしても相手が上回って、こちらが負けることは往々にしてある。
一生懸命やって負けたら仕方ない。
だから失敗しても責める気にすらならない。
ひたすら、努力を怠らず、失敗した経験をプラスに変えてほしいと願うばかりだ。

二軍監督の仕事 第1章「育てるー育成にはプランが大切だと改めて知った」より

選手には、成績以上に全力を尽くしたかを求めること。
成績至上主義のプロの世界の中で一定期間こういう下積み時期があることの大切さを学びました。

2:失敗から本人が気づき、学びを得るコミュニケーション

例え失敗しても構わない。結果が伴わないリスクは承知している。
それでも思い切りプレーしたことで「自分にはこれが足りないんだな」と気づいてくれれば十分だ。そこで前向きになってくれれば、僕とコーチ陣がいろいろなアイデアを提供することができる。

二軍監督の仕事 第2章「モチベーションを高めるために必要なこと」より

二軍監督としては、技術的には最低限のことだけを伝えて、基本的には「思いっきり打て」「どんどん投げ込め」とか威勢のいい言葉をかけて、選手に気持ち良くプレーさせる。そこで選手自体が問題に気づければいちばんいい。具体的には「いい感覚」思い出して、それに近づけるように導く。だから、僕は選手を「治そう」とは思わない。コミュニケーションを取ったうえで選手の「自然治癒」を待つ。

二軍監督の仕事 第4章「コミュニケーションが円滑な組織を生む」より

二軍選手とはいえプロになる人は、元々「地元の神童」みたいな選手。

・結果が出なかったときほど、試合後にカウンセリングすること。
・本人に質問を投げかけ、本人が自分の言葉で話す機会をつくること。
・選手の話が必ずしも解決につながらない場合もあるが、あえて聞くということをする。
・感覚を言葉にできる選手は成長するチャンスがある。
・指導は決して引っ張るものではなく、正しい方向に視線を向かせること
・モチベーションを高めるカギは、話し合い、選手と監督との間にどれくらいの信頼関係が生まれるかによる。

ポテンシャルもプライドもある選手たちのモチベーションを保つためにしているためのコミュニケーションは、上司部下の関係などのコーチングやマネジメントでも活かしていけることが多そうなので、ぜひ試していきたい。

3:恩師からの学びを活かす。

現役時代の高津投手は、バラエティ番組に出て面白い発言をするオリジナリティのある人という印象でした。
ただ、監督になってからのメッセージには、随所に学んだ監督たちのイズムを感じることが多く、特にこの本を読んでからより多くそう思うようになりました。

野村監督の下でたっぷり勉強し、若松監督の下で責任を感じながらプレーし、そしてオジーのお祭り野球を体験してきた。いまは日本にはないオジーのアプローチを、監督として実践したいという気持ちもある。しっかり勉強したうえで、あとはエンジョイしておいで、と選手を送り出したいのだ。

二軍監督の仕事 第6章「僕が学んだ監督たち」より

冒頭に紹介したシーズン終了後の優勝セレモニーのスピーチは、2001年若松監督。

日本シリーズ直後のスピーチは、93年日本シリーズの野村監督。


高津監督のスピーチには、恩師のメッセージが詰まっていて、ヤクルトファンにとっては、懐かしくて、愛を感じることがとても多いです。

「応援してくれたファンのみなさん、そして選手諸君、球団スタッフのみなさんに、心から、感謝、感謝、感謝です」


『絶対大丈夫!』

10年後20年後、今現役の選手が監督になった時のインタビュー。
高津監督の言葉を引用したスピーチを聞けるのが今から楽しみです。


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