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#強運な狂人 と呼ばれた件について

みなさん、こんにちは。
YoutubeやSNSを見られた方はご存知のかとおもいますが、
10月10日にいわゆる「心不全」いきなりICU入りしてしまいました。


そしてそのまま【緊急手術】

そうです、直行便です。通勤快速。

その話について、書こうかと。

思えば、9月29日の日に高熱が出てから始まっていたんだと。

まずはじめに皆さん九死に一生を得るための3つポイントを。

1、何かおかしいな?と思ったらセカンドオピニオン。
2、絶対無理しない。ロキソニンとかで痛みや熱を誤魔化して仕事しない。
3、適度に休む。

10月1日
SHOGUN BURGER宮古島オープンのため宮古島に28日入り、28日は色々打ち合わせもあり仕事していたし、調子も良かった。

9月29日
朝起きたらなぜか熱っぽい。何かの間違いだろうと、その日はホテルでずっと寝てすごす。だって10月1日オープンだから。レセプションパーティーがあり色々な人とご挨拶、お礼しないといけない日。

9月30日
朝起きたら、熱が下がっており、どちらかというと調子が良くなっている。大事をとってあまりSHOGUN BURGERにはいかず、またさらに休んでおいた気がする。(仕事してたか?)夜は決起会のため居酒屋でみんなでご飯を。

10月1日
グランドオープン+レセプションパーティー。
12時オープンし、思ったよりたくさんのお客様がこられてびっくり。

自分も2年ぶりぐらいにポテトを揚げてみる。30分だけ笑

なぜ、30分だけだったか。それはサボったわけでもなく、飽きたわけでもなく、暑かったわけでもない。なぜか朝起きたら左肘がめちゃくちゃ痛くて、真っ直ぐできない状態になっていた。

「あぁ、寝相が悪いから自重で関節技を決めたのだな」

過去にいろいろな寝相を妻にSNSで晒されているのだけど、

今回もその類かと。


右肘関節か首がキマりそう
これはもう右腕がキマって鬱血してる

その時にはそれぐらいで思っていましたが、、、


【宮古島に行った際はみなさんこちらへ!】


友達のスーパープロデューサーのkeiちゃんが作ったハロバケ!という施設の中で
SHOGUN BURGER宮古島店がフードバスで出店しています。
以下、3つインスタのアカウント貼っておきます。


豪華なレセプションパーティーを終えて、スタッフ達とお疲れ様会に。

狂った思考回路をしてるとよく言われるのですがこの時も馬鹿だから、、、

腫れた肘もお酒飲めば治るだろう、そもそもこの肘は明日には治ってる。と思い、
勝利のテキーラを飲んでしまいました。

案の定その日は肘がもっと痛み始めてホテルに到着するころには涙が流れるほどに笑

あの日は辛かった。本当に。

この辺からは熱はなくて、肘の痛みだけでした。

10月3日 
東京に戻り、そのまま牛宮城にお客様が来てたので出勤。この時も調子が悪いわけではありませんでした。肘は痛かったけど。

10月4日
富山でカフェオープン(Toton Cafe)の視察や様々なMTGを行ったりと。

10月5日
肘の痛みが引かないので友人の整形外科の先生に診てもらう。
関節炎か痛風かもしれない。熱がもし出てくるなら大きな病院に行った方が良いよ、と言われました。

10月6日
発熱。41度。このへんからかなり身体がきつい。その日に抗原検査を行い、陰性。

10月8日 深夜
深夜2時30分ごろに救急に駆け込み、検査をしてもらう。この時には原因がまだわからず。入院しますか?と言われたが、拒否してしまう。(しようとは思ったが次の日の仕事があったので次の日にしようと思っていた)

10月10日 朝

朝起きてすぐに違う病院に検査をしにいくことを決断。
ここで6時間〜8時間ぐらいの検査、検証してくれた先生に感謝。

すぐにICU(集中治療室)に行かないとまずいです。と言われた。

なんてこった。

まさか、こんなに丈夫だった、タフだった、自分がいきなりICU入りするなんて。

ICUなんて映画とかドラマでしか聞いたことない、まじか。

俺大丈夫か。と、この時にめっちゃ思った。

でも、体調が悪すぎて、もう思考もあまり回っていなく、この時には怖いとか、そういうのではなくて

「辛すぎるから、早く治してほしい」のが強かった。

ICU入った瞬間、

「緊急手術」になります。ここから1週間外部とは連絡取れなくなります。

と言われて、、、え、、まじか。本当にやばいんだな。と実感。

そのまま、いろんな管を刺されて(めちゃくちゃ痛かった)

そこから記憶なし。

もう手術とか入院とかもしたことないし、怖いことばかりだったんだけど、やっぱり人間死ぬかもしれないっていったら、結構なんでもできるんだなって。

自然と覚悟決まっていて、落ち着いていたと思う。

この時8時間ほど手術したみたいですが、16時間後ぐらいには目覚めたみたい。

その時にいわゆる走馬灯ってのをめっちゃ見た。これが生死の境目なのかと。

死んだばあちゃん、家族、社員のみんな、いろんな思い出が何回も何回も夢の中に出てきた。途中までメモしてたんだけど、あのメモどこにいったんだろ。

ICUでなぜかipadを使うことを許してもらってTwitterとかメールでみんなにメッセージ送ってたけどもうよくわからない文章だった笑

手術が無事に終わり、次の日に奇跡的に一般病棟に移動させてもらえた。

手術したところは痛いけど。当然だよね、胸切って心臓に人工の弁を入れたんだから。
でも驚くべきこととしては熱も下がってるし、肘も痛くなくなってた。

今回の手術は
心臓の弁になんらかの菌が付着してしまって全身にばい菌が回ってしまう症状を治す手術で、弁をカットして機械弁と言われる人工の弁に入れ替える手術だった。

ちなみにこの手術するとワーファリンという薬を一生飲まないといけない身体になり、そして納豆が一生食べられなくなる。

それはすごくすごく残念だが、死ぬよりましだったし、機械をいれて、再度、人生復帰するためサイボーグになることを決意した。

一般病棟に戻ってからすぐに宮迫チームに連絡をし、
「自分の病気や手術についてYoutubeを通じてご報告したい」と依頼。

快く、宮迫チームが受けてくれて、すぐに撮影に。
肺に水がめちゃくちゃ溜まっている状態で喋りづらい状態だったけど、ひさしぶりに喋った人が一流芸人宮迫さんだったのでスムーズに喋れた笑 

Yahooニュースにも載ってたみたいだけど、まさか自分が病気したらYahooニュースなるなんて思ったことなかった笑 宮迫さんすげえ。

担当のお医者さんには次の日には40%の死亡率、次は50%と上がっていく危険な状態だったよ。と言われて、まじで助かったと思った。本当に神様に生かしてもらったみたいだ。


最後に、

Youtubeの撮影の日に妻から来たLINEを。

#強運の狂人だしな

と言われて、自分で気づかなかったけどそうなのかもしれない。
と思ったのでプロフィールにも入れておきました。

この長い入院生活、色々なものを得れる気がする。


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