人材育成とは社会の「善」をプロデュースできるプロデューサーを『養成』する活動
社会では人を育てる「育成」プログラムが大流行りです。
国からの助成金や各種補助金が用意され、本業として活動してきている「人材研修会社」や、にわか「IT/DX/AI等の研修事業者」が補助金セットアップのプログラムを売り込んでいる状況を見聞きする事が増えてきました。
人材育成は大切ですが、何を育成するのかの目的意識が明確でないと、コロナ時にもあった「補助金の奪取的不正行為」が横行してしまうリスクも懸念されるところです。
人への教育とは、学習を通して「知識」や「知見」等の向上を企図するものです。
学習には大きく分けると、自律(立)的に学ぶ自習(自学)と、教授(人から教えられる)や研修があります。
「人材育成」の常識的意味は、経験知や匠技を持つ「人」(先生と呼ばれる方々)が、その領域の知識や技量等が未修得の「人」に対し、知識や技術等を教える事により、学人の知識的成長を促す事です。
最近の言葉で言えば「リスキリング」や「リカレント」などが身近に聞こえてきます。両方ともとても大切な学びの概念です。
特に「リカレント」という、学びの循環的思考回路の磨き込みはとても大切な修得手法です。
「人材育成」関して私が日頃感じている事なのですが、「人材育成」をしようとする側が肝に銘じておくべき大切な視点があります。
それは、「育成」の意味を「人を育てる(または育ててやる)事」と思い込まないこと。
あくまで「人が自律的に育つ」環境を提供してゆく事を企図することが大切です。
そして、「育成」とは学ぶ人たちの知識レベルを上げる事や偏差値を高める事が目的の本義ではない事を認識しておく事。
本来の「育成」の目的とは、修得(習得)知を意識基盤とし、人類社会にとっての「善」を創造してゆく手段として知識等を応用しながら「良き世界を創造」してゆく力を修得させる事です。
社会の共通善をプロデュースをしてゆける人材を「養成」してゆくプログラムが本来の「人材育成」と思う次第。
人を育てる意識ではなく「人が育つ」環境創出こそ「人材育成プログラム」の意味と思います。
それに必要なプログラム費用が研修費として補助金対象となる事が望まれるところです。
私もこの活動に参加してゆく予定です。賛同いただける方々とご一緒出来れば嬉しいです😃
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