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闘病生活と家族への感謝

【おっさんたちの往復書簡】
↑高校の友人とやってる往復書簡です。

さてさて妙加谷、4往復目いってみましょうか!

不安は過去や未来にあり、今にフォーカスすれば不安は消える」ですか。これはいいね。意識したことなかったわ。
俺にとって今に集中できる瞬間は、工場の現場に出てるとき。お客様から届いた図面を確認し、機械をセットし、納入された材の性質を確かめ機械に投入する。ブィーンと大きな音をたてながら木が削られて、美しく造形され機械から出てくる。それを一本一本集中し、丁寧に繰り返す。
仕事における単純作業って、実は結構大事な要素なんじゃないかと最近思っています。とにかくスピードを求められる今の時代、計画立案やら新規事業開発やら「未来」を見すえた仕事が増えています。一方日々の生活の局面では、相変わらず「今」を見てる。仕事と生活の間にあるこのギャップが精神のバランスを崩す要因になっていると感じます。人にとって仕事って、本来暮らしをたてるためのものだから仕事と生活はリンクしてなきゃ居心地が悪いはずなんだけど、なかなかそうなってないよね。爆速で仕事をしなければならない時代だからこそ今に集中できる仕事をもつ。未来に焦点を当てつつも今の仕事も全力で取り組む、という感じかな。「お前、今と未来どっちが大事やねん!」と聞かれて、「どっちも~~」とテキトーに答えるええ加減さが必要なんだろうね(笑)


さて、夫婦円満の秘訣とか、子どもとのコミュニケーションで気を付けていること、でしたね。ありがとう。これはね、脳梗塞になったことが大きく影響しています。
脳梗塞による体の不自由はたくさんありましたが、中でも嚥下(飲み込み)とめまいの障害がつらかったです。今ではそれぞれ日常生活に不自由ない程度に回復しましたが、倒れてすぐ、2週間くらいは本当につらかった。飲み込みについては、当初全く何も飲み込めず「もしかすると生涯おかゆしか食べられないかもしれません」と主治医に脅されたりもしました。全く何も飲み込めないというのは結構やっかいで、自分の唾も飲み込めないのよ。口の中によだれがたまると吐き出すしかないんだけど、寝返りがうてないほどのめまいの障害もあったから、寝転んだまま口の端からよだれを垂れ流すしかなくてね。情けなかったです。

病気になるまでは、若い男ならだれもが憧れる『俺がお前を守ってやる』的ラブソングが大好きでした。でも、体は思うように動かず、よだれは垂れ流すしかなくなって、あれは嘘だと知りました。
倒れたのは2011年の1月だったんだけど、あの年の冬は京都もよく雪が降ってね。「あー、今日も外は寒いんだろうな」と思いながらしんしんと降る雪を窓からぼんやり眺めていると、よだれを拭くためのティッシュをたくさん抱えて、「外、寒いわー」とか言いながら妻が病室に入ってくるわけ。それで、嫌がりもせず、当たり前のように、毎日よだれを拭いてくれるんだよ。涙が出ました。愛想をつかされてもおかしくない状態になり、『俺がお前を守ってやる』とかよう言うわ、と。しみじみ妻がいてくれてよかった、心からありがとうと思いました。

当時もし独り身だったら、あの逆境をうまく乗り越えられたか今でも自信がありません。人生は、いい時だけじゃなく必ず悪い時もある。「一人で乗り越えるのキツイなー。結構やばい逆境やなー」って時が誰でも一度くらいはあるものです。そんな時、自分の人生に寄り添ってくれる人がいる。それだけでもう十分ありがたいよ。そりゃあ、けんかもするし腹が立つときもありますが、妻や家族に対する俺の感情の根っこは「感謝」です。


病室で心と


これは、当時1歳だった娘が病室のベッドに初めて乗ってくれた時の写真。入院中、鼻やら手やらにいろんな管が付いていた俺を娘はずっと怖がってたんだけどね。そばに来てくれた時は本当にうれしかった。この写真は俺の宝物です。


妻や家族とのコミュニケーションで大切にしているのは、ありがとうの気持ちをちゃんと言葉で伝えることです。ふとした瞬間、家族が横にいるだけでありがたいなと思うことってない?そんな時は「いてくれてありがとう」と言うようにしています。そこに大した理由がなくても、相手が0歳児でも、まあ、とにかくそう思ったら言葉で伝えます。照れくさくてもね。
そばに誰かがいてくれることは、本当に有難く、それはとても豊かなことだから。

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