奈良吉野視察 ~森と生きる非合理的な人々~
大阪から一時間半程度車を走らせると、深い山あいを流れる大きな川に寄り添う町が見えてきます。
「え、もう着いたの!?」
これまで感じていた心理的距離よりも、実はうんと近いところに吉野の町はありました。
(写真:http://yoshinochoboku.com/tyoboku/)
2019年11月、株式会社飛騨の森でクマは踊る(通称:ヒダクマ)の視察でご一緒した吉野の皆様。あれから3か月。「せっかくいただいたご縁を無駄にしたくないね」と話していたヒダクマ・松本君と一緒に、今回は吉野に伺わせていただくことになりました。
吉野林業の特徴
奈良県南部に位置する吉野は近畿で最大級の面積を持つ郡域(なんと奈良県面積の60%が吉野郡なんだそう!)です。実際訪れてみてその山々の急峻さに驚かされます。耕作に適した土地がほとんどなく木を伐るしかなかった吉野。植林の歴史は日本最古とも言われ、室町後期にまでさかのぼることができます。戦国時代になって畿内はお城や寺社の建築ラッシュ。旺盛な需要を支えたのが吉野の森でした。
江戸中期になると酒樽の原料として、吉野の木は灘や伊丹、伏見に運ばれていきます。樽からお酒が漏れないように節がなく目の詰まった(年輪の細かい)材が求められ、「密植」「多間伐」「長伐期」という独自技術が生まれました。ところでその昔、樽丸(たるまる:樽材用の板のこと。板を丸く束ねて運んだため、その形状から樽丸と呼ばれるようになった)製作技術を吉野に伝えたのが、私の生まれ育った堺の商人なんだそう。歴史的なつながりを教えていただき、吉野との距離がより一層近づきました。
樽丸
樽丸製作を教えてくれた春亮木材・春増薫さん
節がなく、目の詰まったまっすぐな木。樽丸に限らず、もちろん建築材料としても非常に優秀です。日本三大美林に数えられる吉野の山には樹齢うん百年の木が平気で生えていて、今でも高付加価値な林業が実践し続けられています。
樹齢300年の杉。300年前といえば……
暴れん坊将軍の時代だな。
吉野貯木
昔は伐った木材を上流域で筏にし吉野川を下って、河口の和歌山で積み替え、全国各地に運んだそうです。しかし筏流しは、利益の多くが和歌山商人の手に落ちるだけでなく、材が傷つき、流失するリスクがありました。昭和初期の大不況の折、何とかしようということになり誕生したのが上市地区の貯木場。近鉄吉野線を場内に引き込むほどの力の入れようで、流通を一変させることに成功します。最盛期は昭和の終わりから平成の初めごろ。当時は木材関係事業者が貯木エリアに100件以上あったそうです。タクシーに乗り大阪難波あたりまで(60km程度)、毎日飲みにいく猛者がいたとかいないとか。貯木場のおかげで吉野は景気のよい時代を迎えることになります。
しかし、ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。絶頂期も束の間、バブルははじけ木材需要は急速に冷え込みます。今では吉野貯木の木材関係施設は40程度にまで減ってしまいました。
かつての吉野貯木
(写真:http://www.m-sugi.com/83/m-sugi_83_ishibashi.htm)
若手の奮闘
このままでは吉野の林材産業は沈んでしまう!閉塞感を打破しようと、若手が中心となって様々な取組が行われています。その中でも「吉野杉の家」と「愛 学習机プロジェクト」について今回は簡単にご紹介します。
ゲストハウス・吉野杉の家
建築と文化の共有を通し、地域の活性化を目指す。建築家の長谷川豪とAirbnb共同創業者ジョー・ゲビアのコラボレーションにより生まれた「吉野杉の家」。視察の宿でもあったこの建物は、すべてが吉野材でできていて、とても落ち着く空間です。建築だけでなく、地元事業者でつくるコミュニティがホストを務めるという運営方針も極めて特徴的。朝食は地元のカフェ・Cafe Le Reposさんから届けられました。吉野川をながめながらやさしい朝ごはんをいただき、地域の方とゆったり語らう時間は格別です。
吉野杉の家に到着したのは夕食前
吉野杉の家(一階)
吉野杉の家(二階)
Cafe Le Reposさんから届いた朝ごはん
愛 学習机プロジェクト
中学校で使う学習机を地元産材で作る、今年で7年目に突入するプロジェクト。吉野町唯一の中学校、吉野中学校で実施されています。入学時に自身の机を組み立てるワークショップに参加して、3年間使い続け、卒業時にその天板を持ち帰る。吉野町の単費で実施しているプロジェクトとのことで、その本気度がうかがえます。
吉野中学校にて、教室の様子を拝見しました。生徒一人ひとりに「自分の机」という意識が芽生えるようで、どの机も丁寧に使い込まれていました!
ところで木材には調湿効果があり、特に杉は空気浄化性能や免疫力を高める効果が科学的に証明されています。木造もしくは木質化された教室は、鉄筋コンクリートよりもインフルエンザによる学級閉鎖が少ないそう。地元の産業振興や木育という観点だけでなく、子供たちの教育環境を整えるためにも木材利用がもっと広がることを期待します。
(図表:橘田紘洋『木造校舎の教育環境』P68、https://wellnesthome.jp/tag/woody-rate/)
吉野の人の非合理性
吉野の歴史や今の取組みを見聞きし、一つの疑問が浮かびました。吉野の人の非合理性です。「密植」「多間伐」「長伐期」施業をすれば、節のない目の詰まったまっすぐな木を育てることができる。理屈は理解できるのですが、百年先を見越した気の遠くなる仕事で、マネをしたくても難しい。もっと言えば、自分の利益だけを考えればそもそもマネをしたいとも思わない。吉野杉の家の運営についても同じことが言えます。「地元事業者でつくるコミュニティがホストを務める」とさらっと書きましたが、ずいぶんご苦労があるだろうと想像します。ホスト役の皆さんは自らの本業の合間を縫って運営に携わっています。海外の宿泊者も多く、立ち上げ当初は地元からの不安の声が少なからずあったそう。その不安を払拭するため、宿泊客がいるときは、なんとホストもゲストハウスに泊まることになっています。訪れた人にとっては地元の方と一緒に過ごす特別な体験ができる一方、受入側には相当な負担がかかり簡単にマネはできません。一見して非合理的なのです。
経営学者の楠木健は、競争戦略を論じる著書の中で、こんなことを言っています。
なぜ「一見して非合理」が重要になるのでしょうか。その理由は競争優位の持続性に深くかかわっています。違いをつくっても、それが他社に模倣されてしまうようなものであれば、一時的に競争優位を獲得できても、すぐに違いがなくなり、元の完全競争に戻ってしまいます。そうなると利益は期待できませんから、簡単にはまねできないような違いをつくるということが戦略の重要な挑戦課題です。これが競争優位の持続性という問題なのです。
~楠木健『ストーリーとしての競争戦略』~
スターバックスが、他のコーヒーチェーンと異なりコストや手間のかかる直営方式をとるのは、それが競争優位につながるからです(タリーズやシアトルズベストはフランチャイズ方式)。非合理は、他者との違いをつくる上で重要な要素であり、吉野においても特別な魅力につながっています。
他者から見れば非合理なことを歴史のなかで脈々と続ける吉野の人々。なぜそれが可能なのか。過去のことはよくわかりませんが、今の取り組みをお聞きし「健全な危機感」「一体感」「若手に任せる」「外部を受け入れる度量」などの特徴が一見して非合理な判断を可能にさせているように感じます。もちろん実態はそこら辺の報告書にある美しい事例のようにはいかず、難しい面も多々あるようですが、それでも挑戦を続ける吉野の皆様には感服します。
さらに進めて、ではなぜ「健全な危機感」「一体感」「若手に任せる」「外部を受け入れる度量」などの要素を吉野は持ちえたのか……
まだまだ学ぶべきことがたくさんあるようです。大阪から車で一時間半。すぐそこに吉野はあります。皆さんの笑顔を見に、またうかがいたいと思います。