幸せと数理工学
2017年に武蔵野大学で当時毎週開催されていた大学礼拝というもので話した内容を、後日書き出したものをそのまま載せよう。カレンダーアプリで確認すると、2017年9月26日(火)の昼休みであったようだ。当時は父も母もまだまだ元気であった。
みなさんこんにちは。工学部数理工学科の上山大信と申します。この4月から武蔵野大学でお世話になっております。テーマ自由で7分ほど話すようにということでしたので,「幸せと数理工学」という少々怪しげなタイトルで話させていただきます。私には二つの顔があります。一つは応用数学者としての顔。こちらの顔で工学部にはお世話になっております。もう一つの顔は,僧侶という顔です。実家は浄土真宗本願寺派の寺院であって,実は昨日も秋の法座を勤めてまいりました。まだ父が住職をしておりますので,私は副住職という立場ではありますが,本年度は全ての法座に参加する事を目標にしておりまして,学科の方々にはご迷惑をおかけしていますが,今のところ全ての法座に参加できている状況です。
自己紹介はこれくらいに致しましょう。突然ですが,幸せとは何でしょうか?どうしてこういう話をするかというと,もちろん大学のブランドテーマである「世界の幸せをカタチにする。」を意識してのことです。この4月に着任致しましたが,このフレーズには大きな影響を受けました。私も科学者の端くれですので,まずは幸せとは何か?を考えました。なぜなら,問題としてきちんと定義されなければ,科学的な議論は不可能だからです。そういう意味では,このテーマを科学的議論に載せる事は現時点では難しいというのが私の率直な印象です。例えば,私の専門では数理モデルというものを用いますが,それは知りたい対象を数式化してそれを数学で解析することで対象を理解しようとします。幸せを数理モデル化できるかというと,やはり幸せをどのように数値化するのか,そもそも数値化できるものなのかといった疑問に直面します。さて,一方で近年の工学的な進歩に目をやって見ましょう。工学とは辞書によりますと「科学知識を応用して、大規模に物品を生産するための方法を研究する学問。」とあります。工学によって作り出されるものは科学知識によるものでなければなりません。そういう意味では,メディアで盛んに話題に上るAIは,少々奇妙なものに見えてきます。
AIと呼ばれるものにはいくつか種類があります。最近話題になっている囲碁や将棋に強いAIは,人間の脳の仕組みを単純化し模倣したものです。ご存知の通り,人間の脳には数多くの神経細胞が詰まっており,それらが密に結合して信号のやり取りをしています。そのような信号のやりとりが,知性を生み出し,複雑な精神活動を含む「人間らしさ」を生み出します。1つ1つの神経の働き自体は比較的単純なのですが,脳の活動自体は単体の細胞の働きからは予想できない,神経細胞の集合体としての活動であって,その仕組みはまだよく分かっていません。現在実際に「使えている」AIについても同様に,内部で表現している人工脳細胞1つ1つの働きはよくわかっていて,機能は単純なものですが,その集合体としてのAIが,どのようにしてその高度な機能を発揮しているのかはよくわからないのです。これは少々恐ろしいことで,人間自身がまだ理解できていないものを重要な事案に利用しようとしている状況にあるわけです。過度に恐怖を感じる必要もないとは思いますが,まだなぜ機能するのか,その原理がよくわかっていないものを人は作り出し,利用をはじめていることは心に留めておく必要があるでしょう。
さて,こういうAIは幸せを感じるのでしょうか?何をバカなという意見もあると思いますが,先述したようにわからないというのが正直な答えであろうとおもいます。今後もAIの活用は加速的に進むでしょうが,例えばAIは人間が感じるような不安といった感情を持ち得るのかまたは持ち得ないのかをきちんと示すことが科学・工学の重要な役割であり,安心してAIを使える土台となるでしょう。
このような現状を前向きに捉えれば,AIはコンピュータの中にあり,人間の脳よりは確実に観察しやすい存在です。人間の脳の模倣であり,そのシミュレーションがAIであると言えるかも知れません。それを科学的な目で観察すれば,模倣の対象であった人間の脳をよりよく知ることに繋がり,人間が生み出す創造性や意識の役割,更には幸せを感じるとはどのようなものかといった,今は語ることすら難しい事柄に明確な定義・答えを与える事ができるかも知れません。これからAIの時代と言われます。研究においてもAIがどんどん活用されるでしょう。自ら作り出したAIを科学的に理解していくプロセスが,それを作り出した人間の理解につながるという,循環的な思想は大変興味深く思えます。
まとまりがない話となってしまいましたが,「幸せと数理工学」というタイトルでお話しさせていただきました。科学者と僧侶という2つの顔を持ちつつも,それぞれの立場を使い分けてこれまで生きてきました。もしかすると,わざわざ使い分けること無く,むしろこの立場を上手に使って,新たな「数理工学」のフロンティアを開拓できるのではと,希望だけは人一倍持っています。もうしばらくの間,二つの顔から見えてくる世界を楽しみたいと思います。