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第十七話 変わらないもの 連載 中の上に安住する田中
人が変わるなんてことあるものか。小さい時から、一人ひとりの人格とか行動のパターンみたいなものは決まっている気がする。兄も姉もずっと変わっていない。僕も、多分変わっていないし、変わる予定もない。
人は自分の過去を正当化したがる。するとその正当化が未来の行動も決定して、結局変わることができない。変わるためには、過去の自分が間違っていたことを認めて、行動を改めなければならない。でもそんなこと、誰が好んでするだろう。
でも普通であることとか、他人の感情を推し量って、傷つけないように振る舞うことが、一般的に——そして絶対的に間違っているとは思えなかった。他人を不快にさせないように、常に気をつけて行動してる僕が、なぜ文句を言われなければならないのか。どうして僕がいつも悪くて、意見を持っている人は常に正しいのだろうか。
兄や元カノのことを言っているのではない。思い返してみると小学校のときから、僕はずっといじめられていた。臭いだの顔がきもいみたいな、よくわからない理由で。もちろん彼らはもっと正当な理由があるというけど、本質的にはそれだけ。
終わりの会の「学級裁判」ではいつも負けた。最終的に先生がいじめっ子に謝るよう指導することもあったけど、彼らが本来犯した罪のほとんどはなかったことになっていた。
言い争いを始めたのは僕で、初めに手を出したのも僕。何にもなくても証拠が捏造できる彼らだから、僕がものを壊してしまったり、クラスの女子の服を濡らしてしまったりした時には、永遠に囃し立てられ、少しでも反撃すると、むしろ僕が謝罪に追い込まれる。本当に糞みたいだ。
人間は誰かをいじめたい。それは当時の僕も理解していた。でも、なぜそれが正義になるのか。
今なら、なんとなくわかる気がする。多分最初にいじめるのは突発的なもので、行動が先に出ているのだろう。それに理由はないし、なくても納得出来る。その時点で、もうそれは正義なんだって、今はそう思う。
人間は過去の自分を肯定したくて、それが未来の行動も決定する。誰かをいじめ始めてしまったら最後、そいつは一貫性を保つためにいつまでもその誰かをいじめ続ける。口が上手ければ、理由なんでいくらでも思いつくし、友達が多いやつはなんでも捏造できる。以上。
大人になっても、変わらなかった。ただ、誰かをいじめたいっていう突発的衝動とか意味なく理不尽な行動をする人が減るってだけで、考え抜かれた構造的な理不尽や妬みとか怨みたいな慢性的な衝動は依然として存在する。否、存在するどころか、それがさも当然だと言わんばかりにそこかしこに、見えないけど溢れている。
世知辛い世の中で、兄のように弁のたつものが徳をする世なのかもしれないと感じることはあっても、自分がそうなるのは嫌だった。でもなんで嫌なんだろう。自分でもわからない。
しかしとにかくいやなんだ。
だからこそ「はっきり言ってやんなよ」という姉の言葉は、僕の胸にいつまでも、重たい余韻を残している。小さいときにも、姉に言われたこの言葉が、ずっと。
続く
連載 中の上に安住する田中 ——超現実主義的な連載ショートショート——
この物語はフィクションです。
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