紆余曲折な人生その1
こんばんは。
ワンマンまであと20日を切りました。
色々な不安と高揚感が入り混じってなんとも言えない心境であります。
さて、ここしばらくは楽器の話とか、ライブの話とか、皆さんからしたらちょっと固い話と言いますか、、、ふぅ、と息を吐きながら読む内容ではなかったと思うので、本日から3回に分けて、ゆるりと昔話でもしようかな、と思ってます。
と言っても、、、
Note二日目の記事でも書きましたが、相当変な子供時代を経験しています。(今日はそこまで行かないかもしれませんが)
コーヒーでも飲みながら、軽い感じで読んでいただければ幸いです。
1.生誕
昔話って生まれた時の話からするんかい!!って感じですが、そうです。笑
最初っから話します。
1995年10月、僕は三重県で誕生しました。
当時は音楽、、、ではなく、、
車に夢中でした。笑
いや、厳密には車本体ではなく、
"タイヤと地面の接地点"
が好きでした。笑笑
母だったか父だったか曰く、ひたすら車のタイヤが地面の上を転がる様をずっと見ていたそうです。
僕の母は全国コンクールで何度か金賞を取ったり、世界三大難曲のうちの一つを、日本人で何番目だったかに弾いた凄い人でした。
そんな母に感化されて音楽に目覚める、、、
ということはなく、楽譜やおたまじゃくしがありえないくらい嫌いで、その後大学生になるまで音楽に触れることはありませんでした。(写真は当時のビデオで、このあと椅子から降りれなくてごねてました)
2.幼少期、小学校時代
そんな僕は幼稚園、小学校に上がり水泳とサッカーを始めます。
小学校一年の秋、サッカーの試合で棒立ちになっている僕に対してどうしてボールを追いかけないのか聞きました。
すると僕は、
「僕が追いかけなくてもみんなが追いかけるから」
と答えたそうです。笑
その日を境にサッカーをやめ、モテたいがために小学校3年生の時にまたやりたいと言って始めますが、続かず辞めます。
水泳の方は、園児の頃から3年間通い、なのにずっと10秒間顔をつけることすら困難だった僕に母は、
「25m泳げるようになったら辞めてもいいよ」
と言います。
なんとその日に25m泳げるようになって僕は気持ちよく水泳を辞めました。笑
他には、低学年の頃から絵画を習っていて、成り行きでパキスタンとの交流展覧会に出展することとなり、入選を果たします。
その後、漫画を描くことに興味が湧き、別の先生に教えてもらいながら、
「キャラクター原案みたいなことを遊びのつもりでやってみない?」
と、小学校6年卒業間近の僕に言ってくれます。
同時期に、僕は学校内で飛び抜けて足が早くなっており、ほーーーんちょっとだけちやほやされることもありました。
知らない高学年の先輩からも、"足速くん" と呼ばれていました。(そのまんますぎる笑)
なので中学に上がったら、陸上部に入ろうと決めていました。
今思えば一番の理由は、「モテはやされたかったから」です
でも、絵も陸上も両方やれたらな、と軽い気持ちでいたのです。
しかし、
中学校に上がると、なんと僕たちの代で陸上部は廃部になってしまいました。
仕方ないから、このまま絵を描きながら、漫画家をゆるりと目指し、部活はとりあえず友達のいるバスケ部に入るかと思っていた矢先でした。
母が、県内に全国大会常連の凄い中学校があるという情報を友人だったかピアノの師匠だったかから教えてもらい、僕に、陸上をそこでやりたいかと聞いてきました。
いきなり全国常連の強豪校!?!?という感じですが、、、
僕が出した答えは、、、、、、、、
次回に続きます!!