不思議なご褒美の話
先日、財布を無くした。
その日は久しぶりに休みの日に友人と会う約束をしていたが、待ち合わせの新宿駅に到着してすぐに、財布がないことに気がついた。
僕は人一倍財布を無くす癖があるが、未だに財布がでてこなかったことがない。
そのせいで財布を落としても、「またかよぉめんどくさい、、」程度にしかならないのだが、今回は状況が違った。
なぜなら、今日は友人との約束があるからである。
友人に正直に話すと、一緒に探すから家までの経路を一緒に行こうといってくれた。
友人には頭が上がらない。
本当に頭があがらない。
なぜなら、財布は台所にあったからだ。
当初は新宿を起点に、目を瞑って適当な駅名を決めて、カメラを持ってふらふらしようという話だったが、家まで帰ってきてしまったので路線を代えて有楽町、日比谷に行くことにした。
友人はカメラを使うのがほぼ初めてといってもいいくらいの初心者なので、
日比谷公園でカメラの使い方をレクチャーしようということになった。
「うまくいかないー」
と嘆く友人。
はははと笑いながらも、センスあるんじゃないかと内心思う僕。
今度はあっちにいってみようとリードする僕を引き止める友人。
「なんだありゃ!すごすぎ!!」
友人の目線先をみると、そこには風景画が。
確かに、ただならぬ雰囲気の画家さんが絵を描いているのは横目でななんとなく認知していたが、
絵をみて、二人して声を上げた。
すると画家さんがやってきて、絵のことについて教えてくれた優しい言葉と声で僕たちに話しかけてくれた。
「絵はね、僕が描いているわけじゃないんだ。そんな烏滸がましい話ではないんだよ。」
「僕はただこの地球に生かされている。それにこの絵は、この自然が僕にくれたご褒美にすぎなんだよ。」
言っている意味が全部理解できたわけではなかったが、彼のその愛に溢れた空気感によって、僕と友人はものすごくハッピーな気持ちになった。
僕らがカメラをぶら下げているのを見てか、
「よかったら、この絵の写真を撮っていってくれないか?ついでに僕が描いてるところなんかも。」
友人へのカメラレクチャーのことも忘れて、夢中になってシャッターを切った。
絵の具や筆、道具、帽子なんかもすべてが愛の塊に見えた。
植物が時に表情が見えるような気がしてかわいいなと思うことは最近よくあるが、道具が喜んでいるように見えたのは初めてのような気がした。
まずやってないだろうな、と思いつつも、せっかく撮った写真を渡したかったので、何かSNSをやっていませんか?と尋ねた。
すると画家さんは
「?? なんだかわからないけどそういうのは何もやっていないんだ。僕はこの時間軸に生きていないからね。」
それならメールにでも、と聞くと
「そういうのもないんだ。
それに、写真はもらわなくても、あなたたちの心を頂いたから、それで充分さ。本当にありがとう。」
言葉の一音一音に、愛を感じた。
なんだか、ものすごく先を行っている人のように思えた。
その後僕と友人はものすごく嬉しい気持ちになって、ベンチに座ってしばらくその人のことについて話した。
思えば、財布を忘れたおかげで出会えたねと友人は言ったが、僕は、友人が財布探しに付き合ってくれたからだと思った。
実は、財布を無くしたことを友人に告げることは本当に勇気が必要だった。
今年初めの頃の僕なら、きっと財布を無くしたことを黙ったままで、後で一人で探しにいっただろう。
財布を無くしたことを話すのは普通のことかもしれないが、僕にとっては大きな大きな試練であった。
信頼ができる友人に出会えて良かったと思う。
それに、もしかすると今日の画家さんとの素敵な出会いは、ある意味僕たちへのご褒美だったのかもしれない、と、思うのは綺麗事だろうか。
まあ、その真偽についてはどうだっていい事なのである。
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