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80万円のカメラが壊れたので8000円のカメラを持って散歩した
Leicaが入院した。
leicaの修理なんて一体いくらかかるのか、、
しかし落ち込んでいても仕方ない、ということで、あえて写真を撮らない日々を楽しむ時間だと考えた。
すると不思議。
いかに惰性でカメラを握っていたのかがよくわかった。
しばらくカメラを持たず、純粋に写真を撮りたくなる時まで静かに待った。
そして、とうとうその日がやってきたのである。
仕事終わりの汗だくのまま、ヤフオクで8000円で買ったカメラを持って、夕方の近所を自転車で駆け巡った。
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久しぶりに電源を入れたカメラ。
いつも使うカメラとは描写も使い勝手もまるで違う。
Leicaもマニュアル設定のカメラではあるが、このカメラは、ある種マニュアルの究極形である。
それはなぜか、、
このカメラでマニュアルレンズを装着すると、なんと露出系が反応しないのだ。
つまり、iso、 f値とその瞬間の明るさを予測し、シャッタースピードを勘で設定するしかないのである。
また、選べるisoは200、400、800のみ。
モニターもガラケーよりも酷い画質。
極め付けに、なんと画素数は600万画素しかないのである。
令和の時代にこのカメラを使う意義はあるのか、、、
自分にとっては大アリである。
この不便さ、そして制限こそが、写真を撮るという行為に大きな影響を及ぼすように感じている。
今この瞬間をどう切り取るのか。そこに本気で向き合わないといけないカメラである。
そしてなんといっても、このカメラにしか出せない描写がある。
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どこかフィルムカメラを想起させる描写だと感じる。
それは、CCDセンサーがそうさせるのか、自身の作ったフィルム風プリセットが起因しているのか。
もしくは、写真を撮る姿勢がフィルムの一枚一枚を大事に撮る行為と似ているからなのか。
おそらく、全てが理由なのだと個人的には思う。
80万円のカメラが教えてくれた、8000円のカメラの価値なのだと、今は思う。
(Leicaの修理は驚くほど安く済んだ)