紆余曲折な人生その2
こんばんは。
前回に引き続き、僕が音楽を始めて上京するまでの出来事を綴っていこうと思います。
ここから読んだ人は、ぜひその1の記事から読んでくださいね。
さて、前回のあらすじから、、
小学生の僕は根性がなく、何事も続かない子供だったのですが、何故かパキスタンの展覧会に入選し、後に漫画家をぼんやりと目指していました。
しかし当時足だけはめちゃくちゃ速かった僕は、それよりもとにかくモテはやされたいという願望があり、中学に上がったら陸上部に入るんだ!!!!と息巻いておりました。
しかし、中学に入学すると陸上部は廃部になってしまっており、、、
3.中学時代(前半)
母の知人から、県内に全国大会常連の超強豪校の存在を教えてもらい、その学校に行ってみるかと母に言われたので、僕はこう答えました。
「いく!!!!!!』
何事にも後ろ向きな僕でしたが、それを決意したのには理由がありました。
全国強豪校に練習に行っている僕って、、、めちゃくちゃかっこいい!!!!
そんな甘い考えで、陸上部が廃部になったH中学に通いながら、朝練と夕方の練習の時間だけ、強豪校I中学に行くという、変則的な生活が始まりました。
今思えば受け入れてくれた陸上部の先生も凄いし、通わせてくれた母の行動力も凄いし、持ち前のナルシズムだけで知らない中学の練習に参加する僕の神経も凄かったです。
しかし、早々に僕は、母にこう告げます。
辞めたい。
風呂に入っている母に対して、洗面所から僕は母に、お得意にセリフを放ったのです。
理由はありました。
中3の先輩からいじめを受けかけていたこと、一年生の間に巨大鉄棒で懸垂逆上がりができるようにならないといけないのに、僕はそもそも女子用の鉄棒で前回りすらできなかったこと。
そして、先輩から、
「いつまで来んの?邪魔なんだけど」
と言われたことでした。
僕はもう、早く逃げ出したくて仕方なかったのです。
すると、母はこう言いました。
「わかった。でも大は何も最後まで続かへんから、何か一個だけできるようになったら辞めてもいいよ。」
と。
その日から僕の懸垂逆上がりの修行の日々が始まりました。
おじいちゃんが家の庭に巨大鉄棒を作ってくれて、手から血が出るほど毎日練習していました。
できるようになるまではそれほど時間はかかりませんでした。
とある日、僕は先輩の前で懸垂逆上がりを披露しました。
すると先輩は、
「おー。できるようになっとぅやん。」
と呟いたのです。
その日の夜、僕は母にこう言いました。
「I中に転校させてください。」
続く