malma
どんな最期だったのか 気にならないかと言えばそんなことない もういないなんて 会えないなんて いやだよ やめてくれよ 寂しい 悲しい 悔しい あなたを思い出さずにはいられない なんだか胸に穴が空いたよう いろんな想いが溢れ混沌と心に漂う 整理なんてつかないよ せめて安らかでありますよう 私にできるのは祈ることばかり いつになるかわからないけど 今度会うときまで どうか元気にしててください そしてあなたの親しかった人たちを どうか見守っていてください
自分らしさ 個性、 特性、 identity、 自分を自分たらしめる要素 プロファイル、 好き嫌い 得手不得手 関心、無関心 自己の認識の中にある全て 自己の認識の外のものは自己ではない? 他人による評価 その必要性 自己を表す、 他者とを繋ぐ なすべき行動の基、 果たすべき役割の素、 なすもの 与えられし生命 能動たらしめる思想、望み、祈り 受動せしめる環境 それらの結果としての身体、心 不要性 集団行動 軍隊 ときに労働 ときに学校 ドレイ
生命としての自分 他者の相対としての自分 妻の夫である自分 子である自分 孫である自分 ひ孫である自分 甥である自分 いとこである自分 友人にとっての友人としての自分 社会構成員としての自分 職業人としての自分 記憶の中の自分 記録の中の自分 忘れ去られゆく自分 死にゆく自分 宇宙の物質として巡る自分 能動する自分 受動の中に置かれた自分 万物のうち自分ではないものではない自分(補集合) 自分を定義するもの、ほかにあるだろうか。
10年前の2月、当時大学2年生だった私は、網走で暮らす親友の誘いで流氷を見るため、知床の玄関口・ウトロを訪れた。 その日は最高気温-5℃に満たない真冬の真っ只中。人影といえば、寒さから逃げるように足早に歩く観光客がちらほら。「観光船」「オロンコ岩」の案内が虚しいほどに、街はひっそりとしていた。 親友は、海とは反対方向の丘の上へと車を走らせてゆく。車の走る先に見えてきたのは「夕陽台展望台」と書かれたちょっと古めの看板。「降りるよ」と親友。 流氷はいまだ見えず、辺りには枯れ
北海道を去って早いもので1年が過ぎようとしている。前回の投稿から約1年が経ったといもいえる。ご無沙汰しております。 昨年(2023年)春に北海道道東での仕事を退職すると同時に、単身赴任していた妻のいる関東某県へ引っ越し、入籍から約2年を経てようやく同居生活を始めることができた。 北海道から関東への移住1年目はやはり、忙しい日々だったと思う。引っ越しを皮切りに、転職活動、新就職先での業務への順応、親戚や友人との交際、知人の死など、いろいろなことがあった。 この1年間に大き
北海道には10年間住みました。 幼少期から北海道に憧れ、 2013年の大学進学を機に、北海道へ移住。 それからは、 ・旭川4年、 ・札幌2年、 ・苫小牧1年、 ・釧路近郊に3年。 世界にあまねく凡人のなかでもごく平均的な、 28歳一般男性の私でも、 10年間も住んでいれば、それなりにいろいろなことがあったものです。 この10年で、 ライフワークを楽しむ仲間と出会い、 人生のパートナーと出会い、 お豆腐メンタルな私の心を支えてくれる、 あるがままの深い深い自然に抱かれ