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ココロはどこにある?AI時代に考える感情と意識の話

こんばんは。12月も中盤で東京でも朝晩は相当冷え込むようになりました。年末の片付けも捗ってますか?!
ファイルを整理していたら約9年前のコラムが出てきました。当時、まだAIがここまで日常になるなんて夢にも思っていなかった頃ですが、ロボットのコンセプトやデザインを担当していたんですね。いつかロボットもココロを持つ日が来るのではないか?などと妄想していたんです。なかなか面白かったので引っ張り出してnoteに移植しておきます。

「ココロはどこにある?」

そんな折、ふと思ったんです——『人間のココロってどこにあるんだろう?そして、もしAIがココロを持つなら、それはどこに感じるのだろう?』と。

胸が締め付けられるような痛みを感じたこと、ありませんか?失恋したとき、悲しいニュースを聞いたとき、あるいは大切な人を想ったとき。実際に肋骨が折れているわけでもないのに、胸が痛むのは不思議な感覚ですよね。
でも、そもそもココロってなぜ「胸」にあると感じるのでしょうか?意識や感情は脳のニューロンの働きで生まれるはずなのに、なぜ胸が痛むのでしょう。この素朴な疑問が、ボクの頭を駆け巡りました。そして、AIやロボットが感情を持つ未来が来たら、彼らはココロをどこに感じるのだろう?と。(笑)

意識やココロって、間違いなくある。と誰もが感じているのに、それは一体何なのか?発生のメカニズムなど、今のところ良くわかってません。
意識については、その仕組みがそろそろ解明されるのでは?という状況ではあるらしいです。
天才的な脳科学者が理論証明するのかも知れませんし、コンピュータのAI化の過程で、偶然発見されるものなのかも知れません。
意識もココロも、脳のニューロンスパークの働きなのでしょうから、ココロはアタマの中のはずなんです。
でも、なぜ我々は自分のココロは胸の辺りにある感じがするのですかね?
「自分のココロに聞いてみなさい」という時は、胸に手をあてて…です。アタマに手ではコマッタちゃんです(笑)
恐らくこの感じ方は、心臓の働きと関連する。というのは想像に難しくないですね。文字からしてもココロの臓器ですから。
感情に連動して、身体中に血を巡らせる心臓の動きを感じ、何か“ムネアツ”的な感覚がココロの動きなんだと思うのでしょう。。

さて、本当に進化したAI。
あと2、30年するとコンピュータの計算能力は人間の脳を超えるそうです。その時のAIには意識もココロも立ち現れている、その可能性はある。かも知れません。
そんなコンピュータや、そのシステムが搭載されたロボットたちは自分のココロがどこにあると感じるのでしょうか?
やっぱり胸のあたり?
いやいや、心臓があるわけでもないですからね。
何らかのフィードバックセンサーのあるところになるんですかね?例えば、ロボットの『胸のあたり』に感情センサーを配置し、感情的なデータをそこで処理させたら、ロボット自身も『胸がムネアツになる』と感じるのですかね。
電気のやりとりが多くなる部分などかなぁ。
通電して熱くなる場所、例えばバッテリーとか、コネクターが集まっている部分?
可動して熱を帯びやすいところとか??
「何やらコシのモーターが悲鳴を上げてます」
「感動してコシアツです。。」とか(笑)
他にも、我々にとって感情と身体感覚はつながっていると思える言葉は多いですよね。
極度の怒り感情では“ハラワタ煮えくり返る”ですし、悲しく辛いのは“断腸の思い”。
何かよーく解った!という時は
“ハラ落ちした”と言う。。
脳が理解したはずなのに、ホントにお腹のあたりにストーンと爽快な“わかった”感は確かにある。
そうそう。時々自分の胃腸も考えているんじゃないか?と思えない事もない。特に食べ物に関しては。
でもAIコンピュータが「あーナルホド!ハラ落ちしましたョ」なんて言ったら、どこのハラだよ!と突っこまずにいられないでしょうね。(笑)
どうやら、我々の身体は感情と切り分けられない関係性があるようです。
とすると、とんでもなく賢いロボットが生まれたとき、彼が人間と同じような身体を持っていなかったら?
心底わかり合える相手にはなり得るのですかね?
コンピュータを賢くするためには、なにかしら内蔵的なものが必要になるのかも?!というのは飛びすぎですか??
我々の身体は有限。いつか必ず無くなる時がくる…
その時、ココロや意識だけをAIチップの中に移植できるようになるとしたら、身体なしでも生きている。などあり得るのでしょうか?
あぁ、ボクのアタマでは限界。。
どなたか、ハラ落ちさせてくれませんか?

2016年2月14日 Moso-Times


おまけ

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