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2020-JUN-12「危機のときのテレビ」

僕はふだんテレビをみません。
でも危機のときには、試聴時間がぐっと増えます。
東日本大震災のときもそうでした。とうぜん、新型コロナに揺れる最近もそうです。


なんで社会が混乱しているときにインターネットよりも、テレビを僕は選ぶのか?

まず、テレビは視聴者に共有の感情を抱かせやすい特徴があることに気づきます。
そしてインターネットとちがって、情報を受けるのが楽。インターネットの場合、自分好みの情報がやってきて、視聴しようかどうか、つねに選択を迫られますから。
だから、インターネットよりもテレビは情報を受けるときに、身構えず、画面から伝わってくる内容に共感したいときにはとても向いている。



ふだんは共感できない情報ばかりだから、みることはないのだけれど、危機のときには共感できる情報の方が多い。
そうして、つらい世相をみんなと共有している感覚を得やすい。
みんなと、この世界で生きていることを感じる。

こういったことで、僕は危機のときにテレビを試聴するのかもしれません。



そんなことで久々にテレビを見ていて、思うことがあります。
わかりやすさを追求するために、声が大きくて紋切型のコメンテーターを選び、おもしろく話をするプロの芸人さんたちを、こんな危機のときに情報番組にキャスティングするのはどうなんだろう。



たしかに深いところで求めているのは共感ですが、大切なのは正確で誠実な情報です。
共感で訴えるがために、中身のない情報で踊らせやすい危機のときのテレビ。



僕らは、日本のテレビ番組で制作される「ニュース」と「情報バラエティ」というものを意識して見分けながら、試聴する必要がありそうです。

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