玄奘西へ行く13

中国の歴史は北方騎馬民族と南方農耕漢民族の争いの歴史だ。と思う。ざっとかじった程度で後は適当に創作する事にしたのであんまり本気で読まないで欲しい。が、本当だったように書く。
簡単に言うと地球が寒冷期に入ると北方民族が南下してきてイザコザが起きるのだ。有名どころは元、最後の王朝清などが北方民族の作った国家である。唐も北方民族の支配との説がある。
よほど残虐な虐殺をしたか?その後の報復を恐れてか?罪悪感にかられたか?北方民族が主に不殺生哀れみ主義の仏教を中国大陸に広めたようである。漢民族は不老不死を頂点とし錬金術的教義を発展させた道教が好みだったようだ。
話は逸れるがいつの時代も戦争では補給こそが最も重要な要となるのだが、この頃の北方民族の戦争の仕方はと言うとなんと大量の羊の群れを連れて進軍した。歩く食糧だから手間要らず!であるが欠点は高い壁は越えられない。つまり人間はともかく、羊が越えられないくらいの柵をしてしまえば北方民族は進軍出来ないので万里の長城と言うのは壮大な馬鹿げた遺跡ではなく実は理にかなっている。また、連れてきた羊を連れて行けないほどの高地も攻めることは出来なかったので敗北した民族達はこぞって高地に逃げそこでひっそりと暮らした。
チベットもやたらと高地なのでまともに侵略しようとした国家は無かったようだ。
滅んだ国家の難民達は皆山へ逃げてしまったので残されたのは土着の神々は妖怪となり人間達にその恨みをぶつけた。
ついに登場した豚も北方民族に恨みを持つ妖怪かも知れない。それとも漢民族に追われた騎馬民族の落としていった黒豚の怨念かも知れない。
とにかくこの豚は各地で人を食らい自由気ままに暮らしてきたのであった。

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