死後の目標
前回までの3回は、生きているうちの目標を年代ごとに書きました。
今回は、死んだ後の話。死後の目指すべき姿です。
一番強くイメージしているのは、自分のお通夜です。
その時に、我が子に対して来場者がなんて声をかけるのか。
その声かけの中身が、僕の生き様を反映するだろうと思っています。
ずばりどんな声かけを子供たちにしてほしいかと言うと・・・
「あなたのお父さんのおかげで、人生が楽しくなった」と言ってもらいたいです。
類似の表現として自分としてうれしいなぁ、と思えるのは・・・
「いろいろな機会をつくってもらったんだ!」
「多くの人に出会わせてもらったんだ」
「今の自分があるのは、大連さんのおかげ」
このような表現です。
死んでも、その人の人生は後世に引き継がれていく。
どんな形で引き継がれていくかは、生前の行い次第である。
僕は、子供や孫の世代に、誇れる生き方をする。
自らの言葉で語れる生き方をする。
主体的に、矢印を自分に向けて、行動する生き方をする。
その連続が、自分の人生をかたどり、死後の、後世へのメッセージになると信じている。
だから、僕にとっての人生とは実験。
その成果のひとつが、自分のお通夜で我が子が来場者から受け取るコメントであると位置づけている。
だから僕は、死ぬ時に、自分のお通夜の時になんて言われるかを妄想しながら、楽しみながら死にたい。それが願い。
家族への感謝。関わってくださった方々への感謝を心でつぶやきながら逝きたいのは再前提だが、その次に、最後に何に時間を使いたいかと言われたら、妄想をしたい。
その妄想を心から楽しめるように、今を生きたい。
今を生きる連続を楽しみ、結果として、結果として誇れる自分になりたい。
この3ヶ月ほど、自分がいかに不完全で、未熟で、ダサいかを感じることがありました。一人では本当に、本当に何もできないんだと感じることがありました。
そのような経験直後に、死後の目標について整理できたこと、今、とても有難く感じています。
明日も、その瞬間を大切に生きます。
10年前の記事はこちら。